仕事の出張でデュッセルドルフに行った際、一日だけ時間が取れたので、
旧東ドイツとの国境に比較的近い州のMunsterという小さな町にある戦車博物館に行ってきた。
とは言いつつも、出国前にハンブルグまでの途中辺りだから、デュッセルドルフから350kmくらいなら昔乗ったTEE(大陸横断特急列車)みたいな列車で2時間も掛からんべな・・と前時代的な頭で楽観的な事を考えていた。
しかしヨーロッパのエージェントMからあそこは不便だから鉄道だと行くだけで半日かかるよ!とアドバイスを頂き、ダイヤを調べたら、なるほど日帰りできそうにない場所だった。
今にして思えば、もしそのままアドバイスが無かったら、以前のGUZZI MUSEUMの際よりも悲惨で困難が待ち受けていたに違いない。笑
諦めて、ドイツの鉄道博物館に目的変更を考えていると、エージェントMから国際免許を取っておくようにとの連絡がきたので、これは!と期待し、言われる通り国際免許を携えて出国したのだった。
デュッセルドルフドルフ入りして三日目の朝、夜走りでホテルの前に駆けつけてくれたエージェントMのクーペに乗り、一路北へっ向かってアウトバーンを飛ばします。
生まれて初めてのアウトバーン・・・BMWやベンツ、AUDIに限らず、急いでる車両は左車線を180~200位のレンジで走っていく・・もちろんエージェントMもそのレンジで移動します。でも絶えずそのままではなく、工事個所などでは急に130km規制~60km規制とかが有り、オービスみたいなシステムも稼働している。
けっこうドライバーたちは律義に速度を遵守してる感じ! ドイツだな・・笑
しかし速度域が速いので、安全確認や車線変更のマージンは我が国のそれとは全然違い、いい加減な安全確認は命取りなことは、助手席でも十分感じられた。
ドルトムントを過ぎてハノーファー辺りで自宅から延々8時間も運転してくれたエージェントM氏が運転してみる?というので、多分この先の人生で二度とない機会と思い、せっかく国際免許を発行してもらって来てたのでチャレンジしてみた。
久しぶりのマニュアルミッションの左ハンドルでの右側走行・・・全て違う感覚。
慣れているのはウインカーとワイパーだけだったが、妙に緊張してしまった。
マニュアルは3年前にしまなみ海道に行く際、親方さんのトラックを借りて運転したが、それ以外の条件下では、1997年ニスモのルマンチームに帯同した時に借りたレンタカーのルノー・クリオ以来! もう20年も前のこと。あの時は2車線道路なら問題ないが、郊外の細い田舎道では、角を曲がると思わず左側を走ってしまい、同乗者の日産子会社の社長さん達にオイオイ!大丈夫か?君・・とお小言を言われたもんだ。
ワシはせいぜい日本国内の違法速度域くらいしか出さなかったが、それでも十分緊張した。でもムンスターのインターを出るころには目も感覚も慣れ、下道では郊外の如何にもヨーロッパ的な素晴らしい景色の道で、随分ゆっくりだなぁ~と思ってもメーター速度は90kmみたいな・・あのへんな感覚が残り、逆に危ないとも思った。
しかしエージェントM氏の流麗なデザインのクーペはトルクも有り、走行中の不安は全くなく、クラッチの具合もとても素晴らしく運転しやすかった。
途中で昼食を食べ、いよいよ昼過ぎに施設に入る。
ここは独軍の演習施設に隣接したミュージアムらしく、周辺にはミリタリースタイルの兵士をたくさん見かけた。
なるほど、だから不便な場所にあったわけだ・・。 我が国でも御殿場の陸自演習場付近にも何もない・・。
東京オリンピックの年にリリースされた戦車・・その3年前に生産が始まった戦時宇宙中のM-4シャーマンとM24、M41のガラガラポンの我が国の61式に比べたら・・とてもモダンに見えたもんだ・・。
いよいよ施設に入る!
建屋の壁には・・
War aber den frieden will,der rade vom Krieg .
ドイツ語圏で活動しているエージェントM氏によると・・・
戦争を語らず?(知らず)して平和は無い・・
(平和を求めるなら戦争を知れ・・・)
的なことを言ったていた気がするです。笑
ガラスケースに展示されているドイツ軍の歴代の軍服が並んでいるの受付で確か10数€くらいを払ってこんなパンフを貰います。
では、触りとして・・僕の好きな軍服から・・
大前提として、このジャンルは小学校1年~5年の間の記憶がベースであり、
、昭和40年代前期の戦車のプラモ好きの少年の目線なので、
一人称はワシではなく僕で進行しますし当然現代の常識ではありませんので、
大人のマニヤの突っ込みは受け付けませんよ・・・笑
やはり戦車を語るには☆☆マークのタミヤ模型なしに語れません。
ニチモも好きでしたが、やっぱり・・・現物の縮尺比というかプロポーションバランスを比較すると戦艦を除いてやはりタミヤに軍配が上がります。
<ネットから拝借>
M24やM48戦車の胴体の裏に刻印されてた旧マーク・・これが強烈にインプリンティングされていますが・・・ドイツ陸軍の戦車は記憶では新ロゴになってからの様な気がします。
さて今回のプロローグです!前置き長くてすみません・・
でも洋服屋ですから興味の対象はまずココから! 笑
模型に色を塗る際、模型の箱絵が色を塗る際の全ての素だったのですが・・・
この絵とて、タミヤと契約していた有名な箱絵画家が描いていたと思うけど、車両の色は兎も角、僕や当時一緒にプラモを作っていた例の金井君のイメージしていたドイツ軍の軍服の色はこれとはやや違う気がしていたのだ。
米軍の普通のカーキやオリーブドラブなわけがない! もっと暗いグレーッシュで青が混ざった中間色ではないか・・?
雑誌 丸を見ても白黒写真と太平洋戦争の記事ばかり・・
当時大好きだったヨーロッパ戦線のドキメンンタリー番組を見ても
白黒のコンバットを見てもサンダース軍曹たちのヤンキーな薄白けた戦闘服やヘルメットの明度に比べ、遥かに深みのあるトーンに見えていた訳です。
それである日金井君がレベルカラーのオリーブドラブとかダークシーグレイとかサンディブラウン、艦艇色を自分なりに調合してドイツ陸軍戦車隊の色を作ってぬっていた。
僕も真似していたのだが、僕たちの仮説は当時検証することが出来なかった。
しかし!今回このガラスケースの中のマネキンが当時の軍服を着ているではないか!
ハーケンクロイツに鷹のエンブレム・・・
黒のレザーに銀のバックル・・
よくあるベルト通しではなく、菊穴3段で高さが調節できるメタル製のフックを刺す仕様で外す時もワンタッチ・・これは機能的だ!
いろんな兵器や工業技術、アウトバーンなどを作らせたヒットラー率いるナチスドイツの有る種の先進性と合理性の象徴だろう・・
隣の第1次大戦時のややオリーブがかったオーセンティックな軍服に較べたら、明らかにブルーグリーンが混ざった微妙且つ深みがある色で素材も単色ではなく、
ミックス調のウールフランネルである!
これは実物を見て驚いた。なんとウールの高品質のものをまとっていた訳だ!
米軍のポリエルテルコットンの作業服とは物が違いますなぁ~・・。
子供でも 入射角を気にしすぎで洗面器被ってるみたいでカッチョ悪と思った、イタリア軍のヘルメットに較べたらデザイン的にも納得できる子供の頃ビックXみたいだなぁ~と思ったドイツ軍のヘルメット!
我が日本の陸自が運用している88式だってこのデザインを流用していますよね・・
コリはレニヤードとエポーレットが付いた将校用の正装に近い軍服・・
これは将校が乗るサイドカーの運転をする兵隊のための乗馬服タイプのライディングパンツ。
ね! サイドカーの色だって違うでしょ? この色にカーキは合わないもんね。
内側にはレザーが当ててて縫い込んである。
これは何かの参考になるね・・!
上着の色と同じだが、上着のフランネルに比べ、薄くて丈夫な目が詰んだドスキンや乗馬服の定番キャバリーツイルを使っているようだ。
いずれにしても恰好イイ!
映像で見てただけで伝わってくるドイツの軍服の格好良さはこうやって
ディテールを見ればちゃんと判る裏付けがあり、我々金井君と推測した色は正しかったのだ・・と判っただけでも
今回の訪問には意味があった。
続く・・次はいよいよ戦車!