Quantcast
Channel: MOTO GUZZI な おじさんの趣味とこだわりについて
Viewing all articles
Browse latest Browse all 399

ドカマン的蒸気機関車の旅 第5章 初めてのNikon F と陸羽東線のC58重連が挑む峠

$
0
0
中学に上がる前の昭和45~48年の間に、今までUPした路線以外にも東北の花輪線、会津線、羽越本線、東京近郊の八高線その2などの写真もストックしてあるのですが、整理が進んでいなかったり、肝心のベストショットの写真が実家で見つからなかったりで、デジタル化が完了していません。
ですから時期は大分前後しますが、中学卒業のころに行った陸羽東線の撮影旅行記を当時の記録や写真を見ながら先にUPしてみました。

欠落した写真はおいおいUPします。

また蒸気機関車かよ!・・・と言わずに、ま、お付き合いください。

尚、今回は、下手な写真ですが、なるべく蒸気機関車の接近してくる様子や、煙突から噴出す蒸気と煙の躍動感が伝わるよう、連続してシャッターを押した写真を貼り付けました。少しでも雰囲気が伝われば・・・と思います。
まぁ、そうは言っても中学生に毛が生えた程度の写真ですので、大目に見てやってくださいね!




昭和48年の春、僕は父親がぶら下げた人参(第一希望の公立高校に合格したら、中古のNikon F を買ってやる・・・)を無事ゲットし、中学の卒業式の当日は、身も心もすでに東北の雪の中を走るSLのイメージでいっぱいでした。

当時の自分には好きな女の子は居ましたが、蒸気機関車に比べたら優先順位ははるかに下でした。ですから卒業式の後のドキドキするようなアレとか・・全く興味も無く、気持ちはすでに北へ向かう夜行列車の青い別珍の椅子に座って駅弁をたべておりました。爆

というわけで、今回の装備品は、カメラは、ニコンFフォトミックFTNと
ニッコールS 50mm/F1.4  ニッコールオート135mm/F2.8
故障から復帰していた ペンタックスS3 スーパータクマー55mm/F1.8 と同135mm/F3.5の 1眼レフ 2台体制(本当はもう片方も発売されたばかりのニコマートELが理想だった。)カラーフィルムとトライXをそれぞれに装填して撮影をするのです。
それに買ったばかりのスリックのアルミの三脚に同じくスリックのプレートデラックス(カメラを2台並べて三脚の雲台固定できるプレート)
服装は着たきり雀で替えの下着のパンツがたった2枚!わはは!
SLマニアに着替えは要らないんです。

真っ黒になって働く機関士さんや機関助手さんに申し訳が立ちませんからね! 爆

イメージ 1
 
イメージ 2
一足先に中大付属高校に合格を果たし、卒業式も早かったUDAさんはすでに北海道入りしていのですが、帰りに東北の奥羽山脈を跨いで走っている陸羽東線に寄るというので、撮影地で有名な中山平駅(現在は中山平温泉駅)の隣り駅で東北の伝統こけしで有名な鳴子温泉郷にある萎びたユースホステルで3月20日に落ち合うことにしていました。

前日の19日の夜21:36、指定席を取っていた急行八甲田52号に大宮で乗り込んだ僕は、まだ春休みが始まっていなかったこともありガラガラ車両の指定されたボックス席に座りました。
すると同じボックスの向かい側にカメラバックを持った同じような年頃のいかにもボンボンといった感じのSLファンの少年と一緒になったのです。
 
聞けば彼もこの春から獨協大付属に進学するのだと言うことでした。
僕と同じく20日は陸羽東線のC58を撮り、そのまま北海道入りするのだと、真新しいNikomartとニッコールオート200mmF4をカメラバックから出し、自慢げにウエスで磨きはじめます。
 
聞けば北海道はおろか、雪の東北も初めてとその独協付属君は言い、この日のために雪対策として蝋燭の蝋を垂らし、防水加工をしたというコットンキャンバスのバッシューを得意げに僕に見せるのです。
 
ここまで来るうちにそのバッシューに垂らした蝋は明らかに細かくヒビが入り、どう見ても防水性は期待でない状態になっているように僕には見えました。
 
ボーイスカウトの僕にとってその雪対策はあまりに粗末で陳腐に思えたけど、何かの縁でこれから1日半行動を共にすることになりそうな獨協付属君の名誉のためにもその件で突っ込むのはやめておきました。名前は流石に失念しました。
 
しかし、意地の悪い僕は、おもむろに自分のカメラバックから、Nikon F Photomic FTNとニッコールオート135mmF2.8を取り出し 普段ボーイスカウトで使っていた土踏まずに小さいアイゼンが付いたキャラバンシューズの足を彼の前で組んでみせたのです。笑
 
カメラは中古だけど僕の勝ち、レンズは200mmと135mmだから僕の負けだけどレンズの明るさではF4に対しF2.8と圧倒的に明るいのでトントンだなぁ・・・なんて、いかにも東京の私立大学付属に進学するボンボンに対抗意識を静かに燃やしていました。笑
 
 
その時、カメラバックに入れていた行動計画書がこれ!
イメージ 3
 
画像を見ると解るのですが、当時の僕は生意気にも青いインクの太字の万年筆を使っていたようです。
当然旅先では2色のボールペン!笑



イメージ 4
 
イメージ 5
 
イメージ 6
 
紙の回りが茶色に激しく変色しているのは、破けないようにセロテープを巻いていたからですね・・・。

どうやらこの1.5泊の撮影旅行の後、当時祖母が住んでいた盛岡に転進したらしい。 しかし総予算が上の赤文字の合計の¥10,100とは!爆
旅をするにはいい時代でした。流石 DISCOVER JAPAN!
 
計画通りならば、陸羽東線の東の基点駅 小牛田まんじゅうで有名?な東北本線の小牛田駅に、僕等を乗せた八甲田52号は3:42に到着しています。
 
 
小牛田駅は、実は当時C11という小型のSLが走っていた石巻線の東の起点駅でもあり、転車台のある立派な機関区もあったので、陸羽東線の始発列車の時間まで構内をフラフラしてしてC11を撮影しました。
 
イメージ 7
この時の長時間バルブ撮影で後の現像後に判ったのだけれど、Nikon のマルチコートされていない二ッコールS50mmF1.4の弱点というか、妙なゴースト?ハレーションが発覚し唖然としました。
 
この後もこのハレーションにはずーっと悩まされ、バルブ撮影はもっまらレンズシャッターのマミヤの二眼やマミヤプレスを使うことになります。
 
その後小牛田駅の待合室で夜が明けるのを待っていると、やがて雪が強くなってきてホーム脇にさっき撮影したC11の牽く石巻線の貨物が入線し、出発していのを撮影しました。
 
イメージ 8
 
イメージ 9
冬ですが流石に太平洋側の雪の少ない地区を走る機関車なのか、スノープローが装着されていませんね・・・
 
やがて、独協付属君と一番列車の721D キハ45 の先頭車に乗っ、運転士と同じ目線でロケハンをしながら、最初の下車駅 川渡を目指します。
 
まだ平野部を走っている時に、吹雪の中 線路の上に2匹並んでこちらを見たままの白い犬を前方に見つけたのですが、運転士の汽笛のピーッという音も空しく、そのまま窓の下に2匹の影は消え、コツ!とに鈍いスノープローに何かが当る音がして、チッという運転士の舌打ちの音が微かに聞えました。
 
独協君と顔を見合わせ、犬の心中、初めて見たぁ~!とびびったことを今でも鮮明に覚えています。だって窓に消える瞬間まで避けもしない犬たちの視線を見ていました。
何か朝から後味が悪い日でしたが、多分運転士さんも嫌な気分なんだろうな・・と同情の念を抱きましたが、げんきんなもので、10分もすると僕等はロケハンに集中し、これから遭遇するC58の重連を想像し、完全にそんな事はすっかり忘れていました。笑
 
 
徐々に春の吹雪は猛烈な勢いになってきて川渡駅に着くころにはかなりの積雪になっていました。下車し、我々キハの次に登ってくるC58が牽く貨物を待ちます
 
イメージ 10
やがて吹雪なのに朝陽が射す変な天気の中、逆光気味でC58187が単線の車両交換のため、引き込み線に入線していきます。
 
イメージ 11
PENTAX S3 スーパータクマー135mm F8 1/250

イメージ 12
朝からの吹雪で、たまたまラッセル車が除雪していない線路だったのか、スノープローで押しのけられた新雪で凄いことになってました。 でも蒸気機関車は強いです。こんなの物ともしない凛々しさでした。

子供のころから土木工事現場でブルドーザーが土塊を押しのける様が大好きだったので、これを見てとてもわくわくしました。笑
 
その後、再び気動車に乗り、鳴子・中山平駅を通過し、奥羽山脈の分水嶺のある堺田駅(まさに堺だ!)に移動し、そこから山形側に数キロ雪の線路を歩き、今度は山形の新庄側から登ってくるC58を狙います。今でも堺田の駅のホームには表日本と裏日本の分水嶺の記念碑が立っています。
 
イメージ 13
西から吹き付ける吹雪の中、風に追いかけられるように・・と言うか、
吹き上げた煙が西風で機関車のスピードに追いついてしまい、SLと一緒にモヤモヤ煙りながら近づいてきます。
 
イメージ 14
こういうのは背景も潰れてしまい、煙の形状も悪く写真的には駄目な状況だけど、凄く印象にに残る撮影でした・・・
 
イメージ 15
PENTAX S3 スーパータクマー55mm F5.6 1/125
 
 
イメージ 16
やがてドラフトと一緒に西陽の逆光の向こうに走り去っていきました。
接近してくる時の絵とは好対照の明るさです。

何人かの他のSLファンのシルエットが見えますが、その中に赤いニットキャップを被った同じような世代の天パーのアフロヘアーの奴が居ました。

やけに色黒の目っ離れのこまわり君見たいな体型の奴で、ガキのくせに生意気にもデカい大判カメラのマミヤプレススーパー23を持っていて、使ってる三脚も、プロカメラマンが使うようなスリックのアルミの雲台が大きくて操作が軽いものでした。
また駅の待合やSLを待っている様子、喋り方など、その個性的な感じがとても印象に残る奴でした。

その後、移動してアングルを変えて重連のC58325?

イメージ 17

 
イメージ 20
 
イメージ 18
Nikon Photomic FTN ニッコール135mm F5.6  1/250 


イメージ 19
PENTAX S3 スーパータクマー55mm F5.6 1/125
 
実はこの場所は、この間の秋田の出張の帰りに寄り道してあまりの懐かしさに列車の中から写真を撮った場所ですよ。



イメージ 35
この踏切からも望遠レンズで狙いました。懐かしい・・・

 
そしてまたもっと新庄よりにてくてく歩いて移動して・・・・

イメージ 33
つい最近ディーゼルで通った 43年前のあの場所の付近・・・


イメージ 21
 
イメージ 22
Nikon Photomic FTN ニッコール135mm F5.6  1/250 
再び移動して、重連を連射!

 
 
 
この後は今度は、ピーク(堺田駅)の反対に移動して、中山平から登ってくるC58を狙います。
 
イメージ 23
 
イメージ 24
Nikon Photomic FTN ニッコール135mm F5.6  1/250 
1/250だとカメラぶれが起きてます。
もう少し露出を明けて1/500で撮ればよかったかも・・・
 
重連のC58だけあり、25?/1000だったか、20?/1000の勾配も物ともせず、爆音と共に爆進してくるC5819。 煙の舞い方がの角度が寝ているのは、スピードが出ているのではなく、向かい風が強いのです。笑
 
そして、中山平の駅に移動し、腹がへったので、駅前の食堂で¥130のラーメンを食べました。この食堂のラーメンは実はSLファンの中で、その美味さが有名でした。 

店の真ん中にだるまストーブがあって、濡れてしまったカメラマンコートの着脱できる襟のアクリルボアを外して干しながらラーメンを食べていたのですが、放射熱で毛並みがチリチリになってしまい、気にいっていた自慢のコートを駄目にした記憶があります。

でも襟を外して、その後もしばらく冬の撮影に使っていたっけ・・・
あの紫がかった紺色のコットンベロアのカメラマンコート・・・何処に行っちゃったんだろうね・・・

イメージ 34
この間43年ぶりに訪れた時にはその店(改装されて新しくなってますが・・・青い屋根の店)の前は除雪されておらず店主が居ないことを物語っていました。思わず二つ隣りの酒屋さんに尋ねると、ずっと当時の味を守り続けて頑張っていたのですが、店主が他界し、数年前に店を閉めたと聞きました。 訪れるのが遅すぎました。残念です。
 
美味しいラーメンで身体を温め、堺田側に国道を歩き、鉄橋と平行する国道の橋の上から俯瞰で斜め前から望遠で狙える有名な場所があるので、そこに移動し、今日最後の重連を狙います。
 
ここは中山平駅を出発してすぐに急勾配そして鉄橋というロケーションで、
駅を出る汽笛が聞えるので、どんなにのんびり屋でも、撮り逃すことはありません。 笑
イメージ 25
イメージ 26
 
イメージ 27
 
イメージ 29
 
イメージ 28
イメージ 30
イメージ 31
Nikon Photomic FTN ニッコール135mm F5.6  1/250 
 
イメージ 32
PENTAX S3 スーパータクマー55mm F5.6 1/125
 
これをと撮り終え、既に蝋加工が破綻して雪がでグショグショのバッシューを履き足が凍傷寸前の例の独協君と別れ、UDAさんと待ち合わせている、鳴子のユースホステルに向かうため、気動車に乗って隣りの鳴子駅に移動しました。
そこでなんともいえない偶然の始りが待って居るのでした。
 
今日はこの辺で終わりにして、次回に続きます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 399

Trending Articles