数年前、出張で金沢市にあるシャツ工場に何回か往復したことがあった。
元鉄おじさんなのに、北陸は、ワシにとって未開の地だった(意外に電化が早く、七尾線と越美南北線位しか蒸気機関車が入っていなかった・・)こともあり、それまで富山や能登・金沢に鉄道で行ったことが無かったので、米原経由の北陸本線北方ルートなのか、直江津経由の信越線南方ルートなのか、まさかの松本経由の中央線~大糸線~北陸本線ルートなのか・・と出張に出る前にかなり悩んだ。爆
そうです。昭和の時代それも50年当時の路線図しか頭の中にはないのからね・・・!
富山に家がある単身赴任の知り合いのドクターのブロガーさんで、普段は車、稀に鉄道で通っていたのだが、そのブログにはワシの記憶では到底乗換駅ではない上越線の駅で新幹線を降りる・・・と書いてあるのがなかなか理解でず、JRの窓口で切符を購入する時でさえ、直江津に行くには、長岡で乗り換えでしょ・・・?みたいなことを本気で考えていた。
その時新宿の緑の窓口で、ほくほく線の『はくたか』の存在を知る事になるのだ。
整備新幹線のプラン・・らしいが・・・。
今回、春のダイヤ改正に伴い、最後のブルトレ、北斗星や大阪発のトワイライトEXPのさよなら列車と北陸新幹線『かがやき』『はくたか』『つるぎ』だけがクローズUPされ、視聴者が日本全国総鉄っちゃんか?と勘違いするくらいマスコミの報道がバカが付くほど盛り上がっていたが、その陰で、3セクに格下げになり、静かに旧国鉄の路線名から去りゆく存在の路線や、列車名称が有ることも忘れてはいけない。
そんなの関係ないねぇ~~と、柴田恭平みたいなことを言ってる人が殆どと思うけど・・・。
新幹線の営業開始とともに歴史ある幹線名が無くなったり途切れたり、在来線の運行本数が大幅に減少され、人知れず記憶から消えていく・・・・。
その意味でも、この北越急行ほくほく線の『はくたか』が廃止されるのは、
在来特急列車最速!>>狭軌で160km/hを誇ったという意味でも悲しいかもね!
でも醒めた人は、北陸新幹線ができるまでの繋ぎだったんでしょ?っていうかもしれないけれど、何処にでもある鉄道じゃなく、かなり個性的な路線だったからね。
だって、動態視力の衰えに伴い、車窓を楽しめない新幹線に較べて、はくたかの160km/hは何んとか車窓を楽しめる限界値のスピードだったからね!。
てか、160Km/h運転区間の殆どがトンネル内というのは笑えるけど。
まぁ。いずれにせよ、京急電鉄(最速120km/h)を凌駕するスピード感は、電車嫌いなワシでも、出張旅行の途中、結構楽しませてもらった。
それは初めて東北本線のはつかり(583系)に乗った時の感覚に似ていたさ・・。
金沢出張からの帰りに信越線の分岐駅 犀潟駅を過ぎて内陸に向って大きく右に逸れ、長く続く一直線の築堤があるのだが、南側の干上がった田んぼにいくつもの三脚に望遠レンズを据えた鉄道ファンの砲列を見かけた時は、こんな平日の昼夕方に、いい大人が仕事しなくて良いの?! と呟いたことがあったが・・・・・、
その背景には、こんなことがあったんだな・・・と、思ってしまった。
九州新幹線営業に伴う、寸断されてしまった鹿児島本線や八代以南の肥薩オレンジ鉄道、東北新幹線盛岡以北開通に伴う、IGR岩手銀河鉄道など、聞きなれない路線名が乱立して、数百キロ単位の王道の●●本線みたいな名称が殆ど無くなってしまったのは、とても残念でならない。
高崎線は上越線、信越本線だったんじゃないのか?
宇都宮線は東北本線だったんじゃないのか?
東海道本線に至っては、琵琶湖線、京都線、神戸線・・・???
昭和50年で止まったままの頭で行くと、あれれ?となってしまう。
何れにせよ、昭和で止まったままの頭では、世の中は二転三転しており、昔の記憶をトレースする旅すらままならない状態になってしまったようだ。