Quantcast
Channel: MOTO GUZZI な おじさんの趣味とこだわりについて
Viewing all 399 articles
Browse latest View live

冬はやはりタマです!

$
0
0
生まれてすぐに喉を刃物で切られ、瀕死の重傷だった所を拾って保護した
我家の2匹目のメス猫  タマ 3歳は、大抵いつも・・
 
イメージ 1
 
何故か、こんな格好で佇んでいるのです。
 
 
 
 
 
我家では、小まねき猫 と呼んでます。
 
 
あと50mm左足が上がれば、TVのクルーが取材が来るのに・・・・
 
 
 
でも、この調子で小さな幸せを 招いて欲しいと願っていますがね・・・・
なかなかその気になってくれません。
 
今年は娘2人がW受験!  是非何んとか合格を 小招き して頂きたいものです。
 
それから 残り少ないサラリーマン人生最後のベアアップも!
 
 
 
拝み過ぎたら・・・
 
イメージ 2
 
 
ダレてしまったにゃ~~。

ドカマンパンツの膝パッド調節方法

$
0
0
みなさん、寒い中、バイクに乗っていますか! 
 
やっと極寒用クラシックスタイルの全天候対応防寒オーバーパンツ(ドカパン)
がデリバリ開始されました。  これで寒さから解放されますね!
 
 
 
イメージ 4
 
一両日中に 復刻版ツアーマスター・トラウザーズをオーダーされた皆さんの手元に て さんの工場から送られた品物が届くはずです。
 
サイズとしてM/L/LLの3サイズの他、レギュラーとショートで股下の設定があり、全6サイズとしましたが、人に寄り脛の長さというか、膝のポイントは微妙に異なります。 ツーリングの際、膝カップ(プロテクター)の位置がしっくりこないパンツのまま何時間も走るのは、かなりのストレスですよね。
 
 
イメージ 3
そこでドカパンに内蔵されているCEマーク入りの膝パッドは3段階で上下方向に位置の調節が可能な仕様になっております。
 
 
 
使用される前に、その方法を図解で解説することにしますので、よろしくお願いします。
 
 
イメージ 1
 
解説図を見ても、よく解らないというおたんこなすな人は、コメント下さい。
手取り足取り教えてあげます。ま、そんな奴は居ないと思うけど(笑)
 
尚この範囲内で調節できない人は、特異体型という事で諦めるか、パッドを外して
直接膝に付ける方法(膝サポーターを買い、上から被せるとか・・・)して下さい。
 
尚、直にパンツだけ履くと、体型に適合したサイズを注文された方は、ウエスト周り、お尻、太腿は少々大き目であります。オーバーパンツの設計ですから、ジャージやGパンの上から履いて丁度よい感じ設計されています。
 
これを直接履いて丁度良い人は、正月怠惰な食生活を送ってしまった人か、多分世間でいう所のデブ(まぁ良く言えば、筋肉質)ですね!
 
それと膝下の設計は往年のベルスタッフのシルエットを参考に設計されているので
かなり細めで履くタイプです。
 
イメージ 2
 
今時のダブッとしたシルエットじゃなく、ヤンキースのイチローのストッキングみたいにクラシックスタイルです!
 
 
 
イメージ 5
イタリアの白バイみたいな感じまでは細くはないですよ・・・(笑)
 
おそらく平均的日本人の通常の体型よりふくらはぎが太い(大根足)の人は膝下特に上のストラップはパツパツかもしれませんが、そういうもんだと思って履いて下さい。 本物もそんな感じです。
 
 
 
 
それではよろしくお願いしますね~~

雪の週末  (大雪を楽しむ)

$
0
0
金曜日はカミさんの誕生日だったので早目に出先(会社の倉庫@松伏町)から家に向かった。
 
 
 
週末雪が降ることがわかっていたので、近くのカインズホームに寄って¥1,980の長靴と車の窓用撥水コートを買う。
 
混んでいると思われたホムセンの売り場は、やけに空いていてガラーンとしており、雪に関係する物の棚はどれも豊富な品揃え・・・
 
やっぱり関東の人は呑気だな・・てか雪降ったらむやみに出歩かないというのがこの辺の人の常識なんだな・・きっと。
 
ワシは北国生まれ、雪が降っても普段と何も変わらない日常を送りたいというDNAがある。だからボ-イスカウト精神じゃないが、備えよ常に! でついつい、他の家庭より要らぬ物を買い込んだり、準備で忙しくなったりする。
 
不謹慎だが、ここだけの話、大雪で不便で厳しい状況になることにちょっとだけ、期待しワクワクている自分が居たりもする。
 
それは、困難をクリアしていく快感、トラブルシューティングしていく過程を楽しむ的な・・・・・・折角カッパを買ったら、ツーリングで雨が降らないかなぁ~とついつい思ってしま不届き者のそれと同じだな(笑)
 
そんな妙に高揚している気持ちを抑えつつ、帰宅。(笑)
 
 
 
互いの誕生日だからと言って、夫婦で洒落たレストランでワインを飲み、祝うような中野良いセレブ様とは違い、我家にはそんな贅沢は無い。
 
娘2人を連れ近くのファミレスで安い食事をするくらいのものだ。その日もCOCO’Sで一人¥1000くらいのメニューを頼んで既に嬉しくもなかろう、ウン10何歳の誕生日を祝った。ま、節目みたいなもんかね・・・。
 
深層心理には、高級な料理と花束と優しい言葉の一つや二つも有っていいのに・・・と思ってはいるだろうが、悲しいかなそんなシチュエーションを起こしても はぁ~?と引かれて終わりだろう。
 
それに長女Aは日曜が本命校の受験日、一日雪が降った翌日というリスクを考えると気が気じゃなくてそんなおめでたい気分にもなれない。
 
おまけにその日はルマン会議の宿の打合せに小諸まで行く予定と重なり、朝の悪天候による交通マヒの対応との兼ね合いで余計気が重かった。
 
助かるのは当の本人がノー天気で切迫感がぜんぜん無いこと、学校でも天然キャラらしい。おまけに明日の土曜日は、2個目の滑り止めの女子大の発表日・・・と言っても携帯でアクセスして受験番号を入れれば、結果が画像がで出るらしい ・・何とも重みのないことよ・・・
 
食事を終え、これから雪必至のさして寒くもない湿った空気の中を家に帰り
雪対策をする。
 
ガレージのない我が家は、ルマンとCT110の上にオーニングが通常張り出しているのだが、重い雪には弱い構造なのでさっさと巻き取り、それらにはバイクカバーをかぶせ、更にその上から農業シートを掛ける。
 
南側のベランダ下のリトルカブにはハンドルカバーと風防の所だけに、4輪車のタイヤ用のカバーを被せ、もう15年も使っている雪かき用スコップと車用除雪ブラシを玄関に出し、自転車類をすべて玄関の軒下に集め、来る大雪に備えた。
 
先週既にスタッドレスに交換済みのボルボのワイパーを起こし、空気圧をやや低めの1.8kgまで落とした。
 
いつでも来いや~~!
てな具合の、大雪警報に燃える50代半ばの北国生まれのおじさんだった。
 
 
 
 
イメージ 2
 
朝起きると、明け方から降りだした雪は関東では珍しい積もりそうな六角柱の細かい結晶の雪だ。
気温はー2度。 春の淡雪のような感じではなく、積りそうな予感がした。
明日の娘の件、小諸行きなど、判断しなければならない事が面倒臭かった。
 
最近、そういった外的要因というか自分以外の煩わしいことが判断材料なることで、悩むのがとんと苦手になってきた。 流されたい・・・判断したくない。俺様は思ったまま好き勝手に居たいのに、いざとなればその時判断するよ!  なんで今、判断しなくちゃならないの・・・・・!
 
これも加齢による症状なのか・・・(笑)
 
想定できている困難には立ち向かう欲も元気も有るのに、
自分以外のアンコントローラブルな流動性に支配されるのが、とっても嫌!
 
それっていわゆる人生や社会、運命への抵抗なのか!?
 
 
いやいや・・・・・  単なる我儘が加速してきたっちゅうだけだね(爆)
 
 
 
 
明日は明日の風が吹く・・ということで、バイクも弄れず朝から暇なので、
効果が一向に出る気配もないスポーツジムに行った。
 
今日でのべ8日目、一か月弱が経過している。
一通り自分で立てたメニューをこなす。
いい加減にやってるからか、筋肉痛が全然来ない。
なかなか良い出だしと勝手に思っているのだが、もしかしたら大きな間違いが存在しているのかもしれない。  でもまぁ いいや・・・
 
 
お昼過ぎ、帰宅する頃には、積雪も10cmを越え、吸音効果のある雪のお蔭で、街の雑音は消え、耳に入ってくる音は北国ではほとんど聴くことのなくなった道路を叩くチェーン音だけが通りに響いている。
 
昭和30年代の雪国の町の音だ・・・・。
 
学習塾に次女Hを送る。
走り始めると、朝とは違いかなりの湿雪にフロントが空転気味になるので、ウインターモードのスイッチを入れる。
北欧の車とは言え、只のFF、スタッドレスを履いていてもやはり関東の湿雪は滑る。
18年前の車とはいえ、850はTRACSというボルボ独自のトラクションコントロールが付いており、変な挙動になる度に前後左右のタイヤはジジジジ~ッと動作しっぱなしだ。
 
以前TRACSの回路基板が壊れて自分で分解リペアしたが、しっかり動作してくれてるのは、とても嬉しい。
 
調子こいて急ブレーキを踏んでABSの動作もさせてみる。
娘にマジで怒られ、たが、ズズズzzzz~!としっかり動作した。
 
850・・・・ロートルだが、まだまだ現役で行けそうだな・・・
 
でも翌朝の日曜日の朝、長女Aを同じ道を走り駅まで送って行ったが、かなりタイヤというかハンドルを取られ、やっぱり雪道は四駆が安心だとつくづく思わせれる。
 
やはり、次はジムニーか N-ONEの四駆だね・・・。
 
その日は、その後家で何もできず、よりによってこんな雪の日に一部のおじさんたちが、吉祥寺の某大学付近の店で盛り上がっている時に、最近手に入れた5.1ch用のセンターSPとサラウンドSPをAVAMPに繋いで、MJのTHIS IS ITのDVDを観ながら音場の調整をしていた。
 
後は、サラウンドのセンターSPを手に入れ、リビングの床下にもぐり込んで、ケーブルが通る穴を開ければ、6.1chの完成だす。
 
あ、そうか・・・TV台を改造してセンターSPをはめ込む場所も作らなければ・・・・。
 
 
しかし、関東では45年ぶりの積雪量という事で、自分の記憶を辿ってみた。
 
56歳ー45年=11歳  という事は、小学5年生の3学期の今ごろ・・。
 
 
そう・・・あの大雪の日は鮮明に記憶している。
 
あの日は、朝から雪がチラホラ降っていて、ストーブ用の石炭置き場から学校の自転車置き場に続くコンクリート張りの外通路から見上げた空はどんより灰色に曇っていました。
 
 
イメージ 1
ベージュのモルタルの校舎の色はライトグレーの空と同化して、無限に振ってくる雪の底をより鮮明にグレーに見せるのです。
 
空に向って口をパクパクさせて、降ってくる雪を食べてる同級生の悪ガキ達の姿、まつ毛に付いた雪が妙に可愛いクラスの娘・・・
 
その日は待ちにまった学芸会の日、ワシは絵の上手い同級生の金井君と組んで自作の紙芝居を披露することになっていました。 そしてそれが終わったら、2人で、浦和の調神社(つきのみや神社)の近くの旭堂という市内屈指の品揃えを誇る模型屋さんに行って、一緒に作り続けてきたプラモデルと決別し、HOゲージ(1/87スケールの鉄道模型)の機関車と線路、電源トランス(コントローラー)を買い、鉄道マニアデビューをするという特別な日でもあったのです。
 
雪は朝から降り積もり、父兄が揃うころには、ぶち抜き教室の石炭ストーブは真っ赤に熱くなり、教室内は熱気に包まれていました。
 
そしてワシと金井君のお紙芝居の順番がやってきました。
紙芝居のテーマは 未来の我が街 です。
 
お約束の、きのこみたいな建物の間をモノレールみたいな乗り物や流星号のような形状の車が透明チューブの中を走り回ってる・・・的な絵柄だったような気がします。
 
多少どもる癖のあった金井君の代わりにワシがすべて読むことになっていたので、すっかり上がってしまい、部屋の熱気と相まって発表の間は、顔が真っ赤で汗びっしょりになり、何をどう話したのか全く分からない状態でした。
 
やがて、学芸会は終わり、互いに一旦母親と雪の中、家に戻り、必至に貯めた貯金1万円を持って、降り続く雪の中、長靴を履き、旭堂を目指します。
 
事前に互いに決めていたHOゲージの機関車、ワシはカツミ製ブルーのED100(フリーランスモデル:EF65の500番台のEDタイプ)と一番安いコントローラーとカツミの線路(16本組:R=60cm)を買いました。
金井君は何を買ったのか記憶が怪しいのですが、我家より相当金持ちの家だったのでワシの予算の2倍の投資額で当時の花形電気機関車 EF66と20本組レールを買ったような気がします。
 
普通ならプラモからDC12V駆動の1/24スロットカー(僕らは当時レーシングカーと呼んでした)に昇格するのが、正常進化なのに、ワシ等は、同じDC12V駆動とはいえ、一気に大人の世界の1/87の真鍮製(金属製エッチング模型)に同じ小学校ではワシ等たった2人だけで旅立つという快挙に、内心やや大人になった誇らしげな気持ちを秘め、いつもなら校庭でアホみたいに騒いで雪遊びのパターンだが、長靴の上端に迫る程に積もった雪にもかかわらず素直に踏みしめ、途中でふざけたりもせず、雪が長靴の中に入らぬ様2人で真面目に帰ってきたのです。
 
 
その時買ったHOゲージは、高校2年の春、自動二輪の教習費用捻出の下取りされました。
 
45年ぶりの大雪はそんな幼い記憶を鮮明に蘇らせてくれました。
 
 
今日は撮った画像を誤って、すべて消去してしまったので画像は無しでやんす。万が一見つけたら、後にUPします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ルマンⅢ 右スイッチBOX交換

$
0
0
先週末の雪のせいか、晴れていても外は全くもって肌寒く、エポのフレームにエンジンを乗せようと思ったけど、やめにした。
 
これといってやることもないので、オリンピックの再放送を何度と無く観ていた。
今回の日本選手団、メダル取り、意外と苦戦しそうだな・・・
ワシがユフォームをデザインしたトリノの時は荒川静香さんだけだった。
その時の悪夢が甦らなければよいが・・・何か嫌な予感がするのはワシだけ?
 
すると雪で遅れていた郵パックが届いた。
 
イメージ 1
中身はこれ! ホンダ XLディグリーの右スイッチBOX。
 
RC30などに使われているセルスイッチとKILLスイッチが付いたHONDA車汎用右スイッチBOXだ。
 
これ、外車の電装カスタムの定番で昔からよく使われてきたね!
 
だけどこのパーツ、パーツオーダーするとと結構高価なのね。 だから我がルマンⅢには左スイッチBOX交換の際、同時にと思い、オクに出ていた中華製のコピー品を¥1,980でゲットして10年くらい使って来たのだが、実は付けてから発覚した、見事な八街パーツだったのね。
 
 
 
 
 
どんな八街かというと、キルスイッチの中の結線というか、構造がデタラメで、
RUNでKILL、OFFで通電・・・という考えられない代物!
イメージ 2
これルマンから外した古いやつ!  この状態でエンジンが掛かる訳!
 
おまけにハンドルバー下側のクランプを絞める+ネジをキッチリ締めこむと、
中側に干渉して、セルボタンの動きが渋くなり、一回押すと引っ掛かって戻らなくなり、セルがカカカカーとなる恐ろしい症状がでる始末。だからクランプのネジは甘めの所で納まってるというなんとも残念なスイッチなのだ。
 
 
でも、走らない訳じゃないので、そのまま10年間我慢して乗ってきた。
普通常識じゃ考えられないとお思いでしょうが、ルマン1やⅢのSEVのオリジナルよりはマシという噂もある(爆)
 
何故か? 古いSEVのスイッチBOX(ベネリとかと共通のあれ)は締めこむネジがタッピングビスの上、受け側(上側のホールがすぐに舐めて、大抵が片方で辛うじて止まっているという悲惨な車両が多いのだ! どう?図星でしょ!(笑)
 
話が横にそれていまった・・・。
出先などで、エンジンが掛からないトラブルの際、故障したところを探る時、大抵慌てているので、キルスイッチのポジションが混乱しがちになり、ややこしいので、通常の物にずーーーーっと交換したかった。
 
RC30とかで探すと結構高いので、ホンダのセル付きの軽2にターゲットを絞って探したらFTR223用 ¥1,000、   XL250ディグリー用のこれが¥500で出品されていたので、迷わず後者を選んだ。
 
左スイッチBOXとお揃いのCVE製の新900SS用もビーチク品として持っているが、厚みが有るし、キルスイッチが妙にデカくて気に入らないから使わない。
 
 
イメージ 8
という訳で、当然そのままポン付けできるわけじゃないので着いたものをよく見て配線を検証し、テスターで導通をチェックし、メモ書きした。
 
イメージ 10
まずスタータースイッチのボタンが紫外線劣化で退色していてミスボラス海峡だったので、苦労して外し、ついでにスイッチOFF車特有の泥汚れ歯ブラシで洗浄した。
 
イメージ 9
ボタンはホンダレッドを吹き、
 
イメージ 11
何とか綺麗になった。
 
イメージ 12
スタータースイッチなのに何故か3本! 青のコードが余計な気がする。
テスターで調べると、スタータースイッチONで導通が切れる。何か車のアクセサリー電源みたいだね!  こんな節電用回路は要らないので・・・
 
イメージ 13
肉 チョンギル ハサミダ・・・
その後切った青のリード線は引っこ抜いた。
 
イメージ 14塗装したボタンをスイッチに嵌める。
 
 
イメージ 15
耐水用にそこらにあったシリコングリスを塗布し、組み立てる。
 
 
XL250用なので配線コードがやたら長いし、ソケットの形状も全く異なり、Fブレーキスイッチの配線2本がソケット内に結線されている。
 
イメージ 3
短く切った後、Fブレーキスイッチ用の配線2本を チューブの途中に穴を開け、これをその穴から取り出す。。
 
イメージ 4
こんな感じ! 残りの4本がセルとキル用リード線。
 
 
イメージ 5
それぞれギボシをつける。
 
イメージ 6
古いGUZZI特有の縦4結ソケット 右スイッチボックスは大概コレダす。
 
イメージ 7
絶縁テープで養生して出来上がり! 右上が外したもの。
下が今回XL250ディグリー用を改造したもの!
 
まぁ ちょっとだけ体裁もよくなったかな・・・?
早速車体に取り付けたら、一発OK。 
 
丁寧にやればミスも無いときたモンだ!
 
まぁ 古めのルマン系(Ⅰ~Ⅲ)の電装カスタムの基本中の基本だす!
オリジナルに拘る人はサラ~と流して下さい。
 
ワシは使いにくくて割れやすくおまけに変なデザインのオリジナルには
拘りません。 ルマンⅣや1000S、ミレGTは同年代のドカティやアプリリアと同じSEVのままで十分使いやすいです。
 
これで今日は暇つぶしできたです! 
 
 

第6回輝け!全国ルマン会議 & 第2回全国ループマン会議 ポスターできました。

$
0
0
 
 
<告知記事>
 
イメージ 4
 
毎週の雪で打ち合せに行けず参ってますが、やっと始動です。
 
2016年の申し込み、
参加申込みはここじゃないですよ!
 
まるてんさんのブログにて近日開始予定!
 
イメージ 3
第4回ルマン会議より・・・ 
 
 
一部の気が早い人で直接中棚荘に宿泊申し込みをした方がいらっしゃるという報告を宿から受けましたが、当日は我々ルマン会議事務局として貸切りになっていますので、残念ですがそれでは無効です(笑)
 
必ずまるてんさんのブログからエントリーして下さい。
 
注)エントリーが必要なのは前日の宿泊(中棚荘)する方のみです。
翌日の軽井沢MOTOTECAに日帰りで来られる方は、必要有りません。
 
以上よろしくお願いします!
 
 
 
イメージ 1
 第4回ルマン会議 初日 @小諸:中棚荘
 
 
イメージ 2
第4回ルマン会議 2日目 @軽井沢:MOTO TECA
 
 
尚この記事は告知専用のため、コメントできません。

WOODY ALLEN と 今秋冬のトレンド

$
0
0
今朝はやや冷えた。
おかげで布団からなかなか出ることができず、いつもより10分時間が押してしまい朝飯が取れず、慌てて家を出たので薬も飲めなかった。
 
朝もやの中をリトルカブで飛ばす。背後でこの前交換したデカいスチールBOXが共振してビビビ~~と唸っている。交換前には無かった症状だ。
 
多分何かの加減で震動が溜まる部分が発生したんだな・・?
 
溜息と同時に冷気が鼻から入り込んできた。
枯葉と排気ガスが混じった懐かしい臭いが鼻腔をかすめる。
 
16歳の11月30日、先輩から¥23,000で譲ってもらったチョッパーハンドルのST50(DAX)に乗り、同じような臭いの中、寒さに震えながら、畑が続く浦和郊外の道を走った40年前の寒い朝の記憶が一瞬蘇る。
 
奇しくも同じカブエンジン。信号待ちの時、両足の間から上がってくる
油臭い臭いも同じだ。電気バイクになったらこんな風情も無くなるんだろな・・。
 
 
やっぱり自分の興味の対象はベイシックな物や定番と言われる物、昔から引き継がれてきた背景の有るもの・・俗にビジネスでよく使う、STORYが有るものになってしまう。
 
あまり好きな言い方じゃないけど・・・
それって懐古趣味っていうのかい?  そうじゃねぇ~だろう・・。
 
別に、古ければ何でも良いという事じゃない。
だから骨董品にはさほど興味もない。
 
出た当初は革新的なものだったが、時代の変遷に負けず生き残りデザイン・機能が今でも通用している、それがすなわち定番! 
 
つまり勝ち残ったもの達が定番なのだ。
そして、そういう物は、大抵ベイシックな姿・形をしているものだ。
 
そんな流行廃り(流行)を乗り越えて愛され続けている物や事に触れると確かにその素晴らしさを体験でき、そしてさらにその思いが強まる。
 
言い換えればワシが嫌いな流行が定番を生むわけだ。
 
そういう意味でいえば、流行も悪くはないのか・・・?(爆)
 
およよ・・・ 大分頭が柔らかくなったところで・・・
 
 
 
 
イメージ 1
今年やたらにファッション誌をにぎわしているこれにまつわる話。
 
 
イメージ 8
F/Wシーズンはいつも上着はツィードにネクタイでお仕事!
 
怒られない程度にカジュアルで、かといって商談でも悪い印象をもたれないこういった着こなしは好きさ!
 
 
ところで、ツィードには代表的なのが4つほど・・
 
産地によって HARRIS(ハリス)、 DONEGAL(ドネガル/ドニゴール)、CHEVIOT(チェビオット)、SHETLAND(シェトランド) どれも英国連邦北部地方で作られるざっくりとしたアウター用の太番手の毛糸で織られた毛織物。  
 
ところが最近ジャケットに限らず・・・
 
 
 
イメージ 11
 
何故か この HARRIS TWEED ハリスツィードだけが
流行りらしい・・・・何処かに仕掛け人がいるはずだが、
 
この紡毛の毛織物、世界中でガンガン流行らせるほど潤沢に供給可能なものではないはずなのです。
 
だって、そもそもスコットランド北部の島の住人がその地で産出された羊毛糸をある品質基準で各家庭で織り上げた自家製の毛織物(ホームスパン)であり、ちゃんとHARRIS TWEEDと名乗れるには一定の品質検査を通った織物でなければファブリックネームを付けられないのだ。
 
下世話な話だが、この織ネームは、普通、反物を仕入れた時に何枚か割り当てがあるのだが、これだけアホみたいに貼り付ける場合はアパレルが生地卸商社や輸入元を通して1枚何十円という値段で購入し、それがHARRISTWEED協会にロイヤリティとして入る仕組みになっている訳けね!
 
まぁ協会としては、エコリサイクルのダサいネーム同様、沢山供給すればその分現金が入る訳だから、大歓迎かもしれんが、普通メンズのジャケット1着で生地は2㎡弱だが、たった面積0.02㎡使って織ネームって実際どうなのよ・・だよね。
 
 
 
 
 
国際羊毛協会の仕掛けなの? とも勘ぐってしまうのだが、
 
イメージ 2
 
 
 
イメージ 12
 
WEBやファッション雑誌でこういうの見ると、開いた口が塞がらない思いだ。
 
この織ネーム・・・下のグローブは左の2双はまだ仕付け糸で仮縫いされているが、左側の2双やのウォレットなどは完全に四方叩き縫いされている!
 
おいおい! ちょっと待て!
そもそもこのファブリックネームは見えない裏地等に縫い付けるもので、ブランド織ネームすら表に縫い付けないのに・・・
 
 
それは無いでしょ!
 
 
 
 
よく、冬の風物詩でロングコート(特にカシミアの場合多し)の左袖にこのファブリックネームを取らないまま誇らしげに着てる 大バカ者 をかなり見かけるが・・・、
イメージ 14
    ネットにこういう写真載せるからそもそもタコが勘違いするの!
 
だいたい薄皮まんじゅう喰うときゃ、ビニールは取って喰うだろ!・・違うな・・
 
ライダージャケット買った時に沢山ぶら下ってたタグ取って着るだろ! うんうん
 
それと同じ事なんだから、流行るのは良いが、こういう商品というか、デザインにしたらアカンよ。  作る方も買う方もバカになる。
 
 
 
もしこれが英国ブランドがやっていたら世も末だ。
せめて日本のOEM商社がアホなノリで無理やりやらせていることを祈りたい。
 
へそ曲がりなドカマンとしては、
何もツィードはHARRIS だけじゃないでしょ? 
 
このままじゃ このファブリックだけが日本ではツィードになりそうな勢いだ。
 
だから DONEGAL(ドネガル/ドニゴール)、CHEVIOT(チェビオット)、SHETLAND(シェトランド)といったもっとマニアックな織ネームが裏地に縫われているジャケットを探して、ペンやスマホを取り出す時にネームをシレっと見せて着ましょうね! 
 
 
そもそも生活に密着した、冬の野良仕事に着る普段着なのだから、HARRIS TWEEDじゃ~い!と 構えないで、さりげなく、ツィードをカジュアルにお洒落に着ることを提唱したいのです。
 
 
そこで、ワシが最も素敵な着こなしと思われる男を紹介することにしましょう。
 
 
 
 
 
イメージ 9
 
ハイ!中央の丸出ダメ夫のお父さんの丸出ハゲ照役の
 
十朱久雄では有りません(笑)
 
 
 
 
イメージ 13
 
ズバリ! アメリカの映画界?演劇界?喜劇界?文学界?で偉才を放つ奇才 WOODY ALLENです。
 
 
イメージ 6
 
若いころから全く変わらぬ彼の着こなし・・・
 
アメリカントラッドの代表的な野暮ったさと御気楽な感じが素晴らしいオヤジです。ワシはジローラモのような着こなしより、ぜんぜん頑張ってない
 
イメージ 15
このように力が抜けた感じの・・・偏屈で粘着質で理屈っぽくて、およそ女性にモテない感じの風体の・・・利口そうなフザケタ親爺に、かなりというか、全く容姿も含めてなりたい! というほど憧れていたのであります。(爆)
 
イメージ 16
 
 
イメージ 17
この人、年がら年じゅうツィードジャケット着てる印象がある。
映画の中でも何処でも・・・。多分映画に自ら出演する際も自前の普段の服で出ているに違いない・・。
 
 
イメージ 18
特にダイアン・キートンと共演した80年代初期のモノクロ映画 MANHATTANは、当時、前武や青島幸男、塚田 茂、高田文雄などの放送作家に漠然と憧れていたこともあり、この映画の主人公のWOODY ALLENその物のような極端なキャラクターに、服の着こなしに、髪型、表情、言い回しすべてにおいて感化された。
 
だから本質が判らないまま、見た目だけの理屈っぽい、斜め目線の、妙な正義感というか、融通の効かない困った親爺になってしまったような気がする。
 
 
イメージ 3
 
 
正直、ジューリッシュ特有の鼻がデカくてこんな禿げで、長頭のうらなり瓢箪顔のウエリントンやボストン眼鏡が妙に似合う感じの男になりたいという思いは、今でも変わらないが、いかんせんワシは典型的丸顔!
 
鼻も低いし・・・夢は叶わない。
 
 
 
 
イメージ 4
 
まだまだ理想とするオヤジには全然程遠いのであります。
 
 
 
 
イメージ 5
・・・・と言うわけで、
要はですね・・・ツィードジャケットは気合を入れて着るもんじゃなく、かと言って、休日や旅行のお父さんみたいに面倒くさいからポケットが多く着慣れている上着としてのジャケットという事でだらしなく着るのでもなく・・・
 
 
 
イメージ 7
アメリカの何処にでも居るような普通のおじさん風に、撫で肩の姿勢で、くたびれた太目のコーディロイパンツを履き、年相応に遣れた感じで着るのが良いのである。
 
 
 
イメージ 10
 
NCISのマクギーが歳を取ったらこんな感じになりそうだ・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

20年越し、やっと見つけた眼鏡フレーム!<工事終了>

$
0
0
10年ほど前だろうか・・丁度、今乗ってるボルボを中古で買ったころ、友人のストさんが中古のルマンⅢを買った。
 
その車両はかなりのヤレ感が否めなかったので、ロッソさん家のガレージで、いつものサンクチュアリのメンバーが集まり、早朝からルマンを分解し、たった一日の突貫作業で軽レストアを行ったことがあった。
 
作業はガンバさんとワシがメインで行ったのだが、かなり遅くにロッソさんのガレージがある大田区から家に向ったのだが、丁度そのころ乗り換えたばかりのボルボの低いシート目線に慣れず(その前はランドローバーDISCO)、帰りの首都高が凄く怖かったことがあった。
 
後にその原因は、車のせいじゃなく、視力が極端に落ちていることが判明したのだが、その頃。中国メイドの安い眼鏡が市場に流通し始めたのをきっかけに、バイクや車の運転専用の眼鏡を作った。
 
元々親の遺伝で視力は、ずば抜けて良く、30代までは両目とも2.0以上あったので、眼鏡とはサングラス以外全く縁の無い生活だった。
 
10年ちょっと前と言えば、レンズの上下の高さは狭くなり。横長のフレームがトレンドになり始めたころだった。
 
 
イメージ 1
 
話は横道に逸れるが、ワシが好きな眼鏡と言えば、トラッド系アパレルに居たこともあり、当然セルフレームのボストン、ウエリントン、レキシントン、メタルフレームに細いセルを装飾した小振りのラウンドあたり、
 
老眼鏡なら、将来はアンダーブローもいいなぁ~なんて漠然と思っていたので、早速COOLENZに行ったら、当然皆トレンドの平たいスクエアのものしか無く、しょうが無かったのでグリーンのセルフレームの線が細いアンダーブローにしたのだが、そもそも眼鏡を掛けなれず、存在感も無く半年のうち2回も紛失してしまった。
 
 
イメージ 2
やっぱり存在感のあるレンズが大きい眼鏡じゃないと・・・と思い、
どうせなら、バブルのころNYから仕入れ、お店で売っていた伊達眼鏡のようなデザインのフレームが欲しいと思った。
 
その伊達眼鏡は、サングラスレンズの着脱式フレームが付属した、ボストンとウエリントンの中間的なやや逆三角の楕円のセルフレームで、ブリッジとテンプルが彫刻が入った真鍮のメタル、鼻パッドはリングスタイプだった。
 
所がそういったクラシックなデザインのものは何処にもなく、リニューアルしたばかりのあの伊勢丹メンズの1Fにすらレギュラーの大きさのフレームは無かったのだ。
 
いらいらして
新たにできたばかりの眼鏡売り場のスタッフに、思わずこんな皮肉を言ってしまった。
 
ジョニーデップやベッカムだって太めの縁のレギュラーサイズのウエリントンやボストンネガネ掛けてるのに・・・と
 
嫌な客だったね・・・でも、当時メンズファッションの先頭を切っていた伊勢丹メンズの1F服飾雑貨の眼鏡コーナーでそれをフォローしていないのは
ワシは許せなかった。藤巻君!何処に目を付けているんだ!ってね。
 
そりゃ白山眼鏡店に行けば、もしかしてあったかもしれないが、目が悪い身体の一部としての生活眼鏡ではないので、それに数万も投資するつもりはなかった。
 
でも選ぶときは拘る。こまったものだ。
 
それで仕方なく
 
 
 
 
 
イメージ 16
 
こんなので何年もお茶をにごしていた。
 
 
イメージ 23
ちなみに仕事用 近距離(50cm~1m)老眼用はこれ!
 
 
イメージ 17
ある日浅間ミーティングのガレージセールで、レイバンのクラシックモデルで惜しいのを見つけ、わざわざスモークの度入りレンズを入れてみたが、やっぱり違うんだよな~・・これはこれでいいんだけどね!
 
であれから何年もたって諦めかけてた今年の2月初旬、花粉対策眼鏡を買いに例のJINSメガネに初めて入店した時、スタッフをつかまえて自分の探している眼鏡の事を駄目元で尋ねてみた。
 
当然店頭のディスプレイには探しているようなフレームは無かった。
 
するとその若きスタッフは、以前そんな感じのデザインのものが一種類だけありました・・・・もう店頭にはないですが・・・・
 
こんなのですかぁ~と、レジの下の引き出しから、出してくれたのが・・・・・
 
 
 
 
 
イメージ 18
 
OH~~~~~~これ、これ!
 
イメージ 19
 
ブリッジに彫刻 本当は彫金を施した真鍮無垢の奴なんだけど・・・
 
イメージ 20
 
テンプルもちと安っぽさは否めないがメタル製で彫刻入り・・・・
 
 
イメージ 21
 
鼻パッドもリムと同素材じゃないリングスタイプ。
 
 
 
思わず衝動買いをしてしまったことは言うまでもない。¥9900也!
 
 
 
イメージ 22
これでやっと、20年以上捨てないで取っておいたサングラスレンズのアタッチメントが装着できる!
 
イメージ 3
やや今回買った眼鏡のフレームのセル製リムは細身でレンズの形状も下膨れだが・・・・
 
イメージ 4
後は画像で判る通り、紫外線劣化したアタッチメントのレンズを新しいレンズに交換してもらえば長年のフレーム探しの旅に終止符が打てる時が訪れる!!
 
 
 
 
イメージ 5
しかしまぁ・・・ヒネた顔つきだねぇ~・・。
 
 
 
<20140307追記>
続きです。・・・
 
 
 
 
ワシにとって眼鏡と言えば、印象に残るのはこれ。ドイツの老舗メーカー
ローデンストック!
ワシの親父も昔から黒の眉毛付のローデンストックを掛けていました。
 
 
イメージ 8
エクスクルーシブという定番モデル
 
 
 
貧乏なのに、経理マンのサラリーマンとしての自分のアイデンティティだったのか、昭和の40年代からビジネス鞄は吉田カバン、眼鏡はローデンストック、靴は浦和の地元の小さな靴屋さんに自分でデザインした絵を持ち込んで作ってもらったオーダー物のセミウイングチップ、煙草はチェリー、ライターはロンソン、万年筆はパイロット(笑)でした。
 
 
しかし、ローデンストックと言えばやっぱり定番のコレだよね!
 
イメージ 12
 イメージ 6
定番中の定番 前傾眼鏡の代名詞
 
中学の時ツッパリのU山が目が悪くなってこれを買い、やや前傾を増やし、オヤジにもらったとかいうWALTAMの四角くて薄いステンの腕時計をして教室に現れた時は、奴もついに逝ったなぁ~・・と思ったもんだ。(笑)
 
 
イメージ 7
カールトンというシリーズ。今でもあるらしい。
 
実はこのフレームワシは大好きなデザインなのだ。
小学校の低学年の時、東京晴海の下町から引っ越してきたK木という運動神経抜群の転校生が居た。やがて学年を掌握し、中学に進学する頃には、ツッパリを向こうに回し、誰も彼に喧嘩を売る奴がいない程になっていた。
 
K木は身長は小さ目だったが、3つ上の兄貴は背が高く、見た目も格好良い、ツッパリではないが、やや不良ぽさの匂いがするとっぽい感じのいかにも東京っ子という感じの高校生だった。
 
兄弟が居なかったワシにとって、ちょい悪な遊びを教えてくれそうな憧れの兄貴的存在だった。
 
ボーリングシャツを羽織り、スカマン系のマンボパンツを履き、バックスキンの黒のプレーントウを履き、掛けていた眼鏡が、ローデンストックのカールトンタイプのセルフレームメガネだった。
 
それも当時としては珍しい、上下の幅が無く、横長レンズの下側がフレームレスのテグスで釣るタイプだ!  
 
それ以来、将来目が悪くなったら、絶対にその眼鏡にするんだと心に決めたていた。
 
イメージ 13
そんな背景があったので、数年前に2回紛失後、買ったのがこれだった!
 
そう・・・昨年、MOTOTECAプチイタミートの際、みれさんと甘楽Pで待ち合わせをしていた時に 誤って落として踏んづけて歪んでしまったのが、この眼鏡なんだよね・・・・・
 
K木の格好いい兄貴がかけたいたのは、テンプルと上端が一体化した細身の黒いセルフレームだった。確か当時、浦和の名店センター内のスロットカーサーキットの隣のHOYA眼鏡にあったやつだ。
不良の溜まり場だったサーキットにK木の兄貴はよく出没していたが、していた眼鏡が、売り場にあった回転する眼鏡用ショーケースにある物と同じだった記憶があるからだ。
 
次回買い替える際は、是非、45年前に K木の兄貴が掛けていたものと同じデザインのものを探したいと思っている。
 
ところで・・・
 
ここ2~3年若い女の子の間で流行っているレンズなしの伊達眼鏡。
 
殆どが大き目のボストンが主流のようだが。
漫才師のキャラ作り用の眼鏡なら兎も角、どうなんでしょ?
 
貴方は大木凡どですか~?
はたまた安倍首相のお父さんの安倍晋太郎? といいたい。
 
イメージ 9
こういう感じなのが影響してるのかね・・・・
 
それとも・・
 
 
イメージ 10
こういう感じか?
 
そもそもウエリントン眼鏡って本来、
イメージ 11
このゴツくてむさい このタイプを言います。
 
王道を狙うなら、これを掛けて イッセー尾形 になりましょう!
クラークケントでもイイです。 角帽被って、高下駄でバンカラもいい!
 
 
じゃなけりゃ、グイグイとアレンジして
イメージ 14
レイバンのこれもカッコイイですぜ!
 
どうよ・・そこのダークスーツのオジサン!
これ格好よくかけられたら、貴方はショーケンになれますばい! 笑
 
 
イメージ 15
と言う訳で眼鏡のお話しはこれでおしまい!
 
じゃ~ね~。

2014春のチビッコ里山チキチキマシン猛レース開催の再告知

$
0
0
 
イメージ 1
花粉に煙る秩父の里山・・・・
重度のアレルギーなのに、そこにわざわざ突っ込んで行く
勇気あるアホバカ供によるチビッ子バイクの祭典
 
 
 
そう・・・2014年春のチビッ子里山360分耐久選手権(運動会)が迫ってまいりました。
 
<参加資格>
基本ワシのブログ繋がりのお友達及びそのお友達限定でございます。
 
<レギュレーション>
原付Ⅰ種/Ⅱ種
一部軽登録の遅い60年代~70年前半の旧車(15PS程度の~250ccは参加可能。
 
 
今年は虎視眈々と上位入賞を狙っている新規参戦者も何人かいるようで、
主催者としてはルート選定に悩んでおります。
 
3連休中に下見に行こうかなと思っております。
 
春先の気まぐれな天候もあり、どう転ぶか判りませんが、事前にやーずのアメフラシ大王様とは野暮用で℡し、こちらへの参戦は無いと確認しておりますので、大方は大丈夫と思いますが、新規参戦者にカエル好きのエセ晴れ男がいる模様なので、油断は禁物です。
 
さて開催日ですが、事前告知では来る3月29日(土)予備日30日(日)お天気次第で決めます・・・・とUPしましたが、29日は参加希望の方の何人かが年度末の土曜ということで何かと忙しいということなので、
 
30日(日曜日)に決定しました。
 
春の麗らかな日を期待しております故、前日の天気予報で雨マーク(午後から埼玉・東京地区が降水確率50%以上なら)は翌週の土曜か日曜に順延します! 
但し夕方18:00以降降水確率70%なら決行でしょうかね? 
 
 
という訳で、
 
春のチビッコチキチキマシン猛レース開催を改めて再告知をここにいたします!
 
 
イメージ 2
集合場所:カインズスーパーモール川島内 
 スターバックス カインズスーパーモールかわじま店 
 
集合時間:7時30分
 
8:00頃 スタート
 
殆どがリエゾン区間です。一応ワシがペースカーですが、前に障害物が居ない場合は、免許と道交法と相談しながら自己責任で随時SS区間に突入です(大爆)
 
いい大人がまとまって熱くなってると、当局によって一網打尽なので要注意!
 
優勝賞金は有りません。 その代り自己満足か、張り切り過ぎの転倒が有ります。
 
 
 
途中 早めの休憩で 沢の水で給水 珈琲野点休憩(ドリップコーシー>>>>
 (各自マグカップ忘れずに・・空のペットボトルもね!! )
 
その後 グラベルSSエキスパートクラスとターマックSSクラスに別れ鎌北湖上流の合流点を目指しスタート。 
 
 
たった約2km弱のダート区間(登り&下り)
 
昭和のビジネスバイク、カブクラスなら走行可能とも思われます。
(但し、パンク注意)
 
その先のコースは考え中です。
 
第一回と第二回の合わせ技+アルファ でしょうか!
解散はいつもと同じで小沢峠手前の信号です!
 
 
昼食場所は、今まではターニップでしたが、もう飽きたぁ~??
飽きて無ければターニップ。
もしそうなら、事前に予約入れ無ければならないので、
今週末までに決めたいところです。
 
当初の予定では、この間行った有馬ダムの近所のさわらびの湯の施設を利用して(利用料¥800)で入りたい人は温泉入って、入りたくない人はぐだぐだしてる的な感じでそこで持ち込んだ事前調達した弁当を喰ってもいいかと。(施設には食事出す環境なし)思っていたのですが・・・・・
 
風呂入らない人は¥800勿体無いからなぁ・・・
 
と言う訳で悩んでます。
 
正丸トンネル越えて芦ヶ久保の道の駅まで行くと帰りが遠いからね・・・
 
 
 
ドタ参・途中合流歓迎ですが、人数把握の為、参加意思の書き込みお願いしま~す。
 
じゃぁ~ねぇ~!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

S/S 企画 進行中 ルマン会議にサンプル間に合うかな?

$
0
0
ドカジャケ企画 第2段!
 
トライアルマスター  ALL MESH JACKET 
 
現在サンプルupに向けて進行中です!
 
イメージ 1
 
春/夏用オールメッシュジャケット。
 
<デザイン>
基本的に秋/冬ジャケットと同じ型紙を使用。
 
プロテクター類は共通。
 
<仕様>
にわか雨や山岳ワインディング対応の防水/ウインドストッパーフルライニングインナー付
>>素材:2.5層 透湿・防水素材(裏シーリングテープ張り)
 
※ ライニングインナーを装着すれば、春~初秋に対応できる!
ドカジャケ(中綿オールウェザー)と2着で年間対応可能です!
 
価格 未定 4万~5万(消費税込)
 
ルマン会議にサンプル間に合えば、いいんですけどねぇ~~・・・
 
オーダー30着から製作可能です。
 
 

BELSTAFFのVintageウエストバッグ

$
0
0
辰巳の帰り、浅間ミーティングの古くからの友人で、ガレージダイヒョウのオーナーのダイヒョウことヤギちゃんを訪ねた時に、英国時代の古き良きベルスタッフのジャケットの話になった。
 
「もう30年以上前の話だけど、トライアルマスター用の背中にベルトに通して装着できるジャケットと同じオイルドコットンのウエストバック・・・そういえば
買ったけなぁ~、SR500弄ってた時だったよ・・・」
 
とダイヒョウが想い出話をし始めた。
 
とても興味深い話だったので、掘り下げてディーテールを聞いてみると、
デザインはトライアルマスターの腰ポケットと同じ形状の物が2つ横に連なっており、マチがやや深く、物をたくさん入れやすい設計になっている。
 
ポケットのフラップの上に広いベルト通しがポケット2つ分の幅なりに上に付いていて、エプロンをぐるっと後ろ前にしたようにするらしい。
 
イメージするととてもオーセンティックでクラシカルな感じに思えたので、
早速イラストレーターでデザインしてみることにした。
 
 
かく前に、一応ネットで、
 
BELSTAFF WEIST BAG とワードを打ち込むと、
 
イメージ 3
 
 
イメージ 4
 
どれもこれも最近のイタリア企画のファッションアイテムばかりヒットして
それらしきものが出てこなかったが、それにVINTAGEというワードを加えてみると、たった一つ、海外のサイトに探し求めていただろう画像がHITした!
 
イメージ 2
おお~~なかなか、渋いじゃない?
 
想像していた通りの設計だったが、下の2本のストラップだけは、
想定外だった。  ボタンホールの大きさから、多分20mm程度の錬りボタンを
背身頃の裏の裾に縫い付け、バタつかないようにそのストラップを止めるのだな・・・なるほど・・・・然り!
 
ウエストベルトで締めるタイプのクラシックジャケットには、
既成のウエストバックはどれもフィットするものが無くて今まで苦労して来た。
 
ワシはトライアルマスターのベルトに、昔、偶然小田急のアウトドアコーナーで見つけた黒のコーディラナイロン製の2連のウエストポーチ(ブランド忘れた)を通して、煙草入れや小物入れとして使ってきた。
 
 
ウエストマークじゃないブルゾンタイプなら良いが、丈長のベルテッドジャケットはベルトが2重になるので、コーディネーションが野暮ったくなる訳です!
 
 
これは追加アイテムで作るしかないでしょ!
 
と言う訳で、イラレでデザインしてみました!
 
イメージ 1
 
製作は、(て)さんの工場です。まだ打診してませんが(笑)
 
当然、ドカジャケの生地と同じものを使い、当たり前ですが、裏シールテープ使いの完全防水です。
 
当然裏は、硬い物を入れても擦れないようにコーデュラナイロンの補強裏地を2重に裏打ちします。
 
ジャケットからベルトを外せば、ショルダーバックとして単品でも行けるかもね~~~~~~~!
 
こんなウエストバックに、ボッシュのあのレギュレーターや、芋虫ヒューズ、
液晶の薄型テスターや予備のプラグを入れて、VINTAGEな旧車乗りの糞オヤジを気取りましょう! ワハハ・・
 
ベスパにもお似合いだよ~~!
 
チョイ古バイク好きな おじさま!
 
どうよ・・・
こういう企画?
 
 
<追記>
 
そういえば、以前ジッタさんが自分のブログ
で紹介してたっけ!(笑)
 
 
 
イメージ 5
それにワシも、これをどこかで昔見てますよ!!
 
でも使い方知らない・・というか判らなくて、何じゃコレ?
ポケットだけじゃアクセサリーにもならんし的な感じで
 
買わなかったんだぁ~・・・・。
 
あ~~ボケてるなぁ~~
ジッタさんのブログに、ちゃんとコメント書きこんでるし・・・
 
ダイヒョウの昔話と、いろんなことが今繋がりましたよ! 笑
 
 
 

チビッ子里山 緊急アンケート!!!!

$
0
0
今週の日曜日、雨の確率大ですね・・・。
 
前日は晴れマーク付いてますが、
 
29日の 土曜日に繰り上げはどうでせう?
 
駄目なら予定通り翌週の日曜に順延になりますが・・・・
 
参加予定の皆様にお聞きしたいのでよろしくリプライお願いします!

ふざけんな! CANADA DRY

$
0
0
ワシの職場の自販機は、シャッターの有る薄暗い一階の駐車スペースに置いてある。
 
普段余り缶コーヒーは飲まないのだが、おおよその配列は理解しており、エメマンとか、何チャラ微糖、大人の何ちゃらなどの 各種缶コーヒー類は下段にあり、
冬季はHOT、夏はCOLDで、ズラリと並んでいる事くらいは知っている。
 
しかし、パッケージデザインだって似たような種類がいっぱいで、どれが何だかちっとも判らんのよね・・・飲んでみたところで、さして味だって皆変らんし・・・
 
 だから飲むときは、雰囲気でいつもボタンを押すのさ・・・
 
 
さっき佐川の荷物を所定の集配場所に持って行った帰り、何気に喉が渇き、
¥100をチャリン!と入れて、焦げ茶とゴールドの配色で、微糖タイプの大人っぽい奴を買って、デスクに戻ったら人に呼ばれて、すぐに飲めず! 
 
 やっと戻って缶のプルトップを引っ張ったら・・・・
 
何んと!
PUSHYUUUUU!
 
っといいやがったから、あれっ と思って 良く見たら・・
 
 
 
イメージ 1
 
!!!!
こんなのじゃ!
 
 流行りだか何だか知らんが、こんな変な飲み物 
自販機に入れるんじゃねぇ~よ!
 
第一、何でコカコーラの自販機にカナダドライの単三電池じゃねーや
・・炭酸飲料の神社エールが・・・コーヒーでもねぇ~のに 
 
こんなプレミアム缶コーヒーみてぇーな 
配色 なんだよ! しかもHOTで・・・!
 
 
開けちゃったし、一口飲んだら、やっぱり旨くねぇ~し、即 捨てたさ・・
 
お陰で花粉症でヒリヒリの咽喉が 生姜が滲みて余計ヒリヒリすらぁ~。
 
 
 

チビ里 29日に決定します。

$
0
0
チビ里 関係各位殿
 
毎度のことですが天気に翻弄されるチビッ子里山・・・・。
 
晴れていても路面が怪しい舗装林道が故、決行日の天気は気にします。
 
 
イメージ 1
日曜の天気予報はやはりお昼は雨・・・・
 
イメージ 2
 
前日の土曜日は夕方までほぼ晴れ!
 
と言う訳で、土曜日の都合が付かない方には誠に申し訳有りませんが、
 
29日にチビ里、決行 と相成りました!
 
昼食のターニップも土曜日のお昼、いつものテラスに予約10名位で取りなおしました!
 
ふーさん  目玉親父さん   次回・・というか 今度桶川のHONDA飛行場
周辺のダートや土手で飛行機やヘリコ、スカイダイビングを見ながら遊びましょう! 隣に一部では有名な桶川サーキットも有るし! チビッ子OFF セッティングします!
 
 
では、いつもの川島のスタバで7:30からお茶してます・・・・・
 
オヤツとマグカップは忘れずに!  火器とコッフェルは持ってる人は持ってきてくれると嬉しい~~。
 
あと、中身はいらないけど給水用の空のペットボトルが有ればいいかな?。
300cc/1人あれば十分なのです。
 
くれぐれもスタバまで安全運転で来てください。
 
※タイヤの空気圧、充電系統、チェーンオイル 金曜の夜は点検よろしくです!笑
 
 
 
じゃぁ~ね~~
 
 

Tシャツですが・・・

$
0
0
毎回記念Tシャツをリリースし、事前に希望者にオーダーしてもらってましたが、
当日のチェックインの際の受け渡しとか事前の集計(誰が何サイズで・・・何枚
みたいな・・・)会計処理が大変でした。
 
 
また当日来れない方のは後日の個別配送と手間もかかってしまい、規模も大分膨らみ私一人ではどうにも対応できなくなてきたので、今回Tシャツは面倒臭いからやめようやか・・・と事務局サイドに打診してましたが、まるてんさんから、やっぱし無いのは寂しい・・と言われたので・・・・・
 
 
イメージ 1
年度、回数、場所が入らない定番的な物を品切れ御免で、それぞれ事前オーダー無しで、ルマンはM10/L20/LL10、 ループマンはM5/L10/LL3 作製します。
 
Tシャツは飽きたからこれでおしまいにしようと思ってます!
 
 
当日販売ということで、宜しくお願いします。
絶対に欲しい!という方は、書き込み下さい!
 
価格は消費税7%込で、
ルマン¥2500、ループマン(新規グラフィック)¥3000の予定です。
 
 
 
 
尚、記念ステッカーは、従来の何種類もあるシートでは有りませんが、
(2種~3種類くらいか・・・)宿泊者には宿泊料込で全員に配布する予定です。
 
2日目の日帰り参加の方は、有料(¥300~¥400程度)になるかと思います。
 

記念すべき一発目は・・・やっぱり函館本線 C62重連 急行ニセコでしょう!

$
0
0
 嗚呼、我が青春 俺の国鉄蒸気機関車(SL)時代
と題しまして、今日から地味に昔撮った写真をすこしづつUPしていきたいと思います。  実はブログをはじめた当初からこの書庫は設けたかったのだが、
オタクと間違えられたら嫌だったのでね(笑)
 
俺はオタクじゃないのよ、SLマニヤね・・・マニヤ? マニア? まぁ
どっちでもい行けど、 オタクはどうもワシはスカンのよ。 
 
 
という訳で、記念すべき一発目は、やっぱりこれだな・・・
 
公立高校に合格したら、ニコンを買ってやると親に人参をぶら下げられ、
明治、法政、中央、早実等の私立の大学付属なんかにゃ目もくれず、真面目に埼玉の公立に入学し、当時の私立高校の入学金相当の金額で中古のNikon Photomic FTNと交換レンズを手に入れ、いざ憧れの冬の北海道に出陣した。 15歳の春休みだった。
 
入学後、私立の入学金より授業料の方が格段に高かいことを知り、あ~まんまと親の策略にはまったな・・・・と思ったが、もし付属高校に進学していたら、ずっとペンタックスS3のままだったかも知れない。
 
イメージ 1
昭和48年3月某日  函館本線 黒松内付近  ニセコ1号  C622重連
<撮影データ>  Nikon F  ロッコール50mm F8 1/500  コダックトライX 増感現像
キャビネ版を600DPIでスキャン
 
日本最大にして最速のSL C62が、しかも重連で引く函館本線急行ニセコ。
あまりにも有名過ぎてつまらん!  と言わないで欲しい。
 
 
イメージ 2
昭和48年3月某日  函館本線 小沢~倶知安間  ニセコ1号  C622+C6216重連 
<撮影データ>  Nikon F ズームニッコール43mm~86mm F11 1/250 コダックトライX 
 増感現像  キャビネ版をスキャン
 
イメージ 3
昭和48年7月某日 岩内線 倶知安駅構内 79616 
<撮影データ> マミヤC33 プロフェッショナル セコール105mm F5.6 1/125 コダクローム  6×6のサービス版をスキャン
 
ここは、事実上倶知安を基点としている支線の岩内線が隣りの小沢駅まで函館本線を走る区間だ。 ここで三脚を立てて待っていると、2つ目の9600型と函館本線のC62やD51などが撮影できる。勾配も急でスピードが上がる前なので、煙もよく噴くのだ!
 
夏はよく倶知安の駅前の地べたにシュラフに入って寝た。
ある日顔の丸い開口部の穴に左の顔がずっと出ていたらしく、そこだけヤブ蚊に20箇所くらい刺されしまい、朝起きたら エレファントマンみたいに腫れて、全く目も開かず感覚がなかった時は、流石に焦った。キンカンを塗ったら目に入り死んだ。次のお昼まで腫れは引かなかった。虻だけじゃなく、北海道の蚊もすげ~んだと知った。
 
 
 
もう倶知安が基点の岩内線も胆振線も廃線になり、現在は無い。
2つ目の9600とC62・・・バイクに例えるならメグロS3とZ2といった所だろうか。
 
 
これからも、気が向いた時だけの不定期運行で出発進行!
フォエ~~~!!
 
 

中1の夏、半ズボンで蒸気機関車のメッカ、九州へ・・・その前に伯備線 D51三重連!

$
0
0
 
大阪万博の翌年、昭和46年の夏 8月1日、中学生の最初の夏休みにHOゲージ仲間の例の金井君と同じバスケ部の秀才 阿蘇川君と3人でSLのメッカ九州を目指し、東京駅から急行桜島51号に乗りこんだ。
 
阿蘇川君はその時点ではSLに興味は無かったが、親がかりじゃない旅がしたいと付いてきた。>>>実は、その後彼は、鉄道ファン(今風に言えば乗り鉄)になり、北大に進学するのである。笑
 
今では考えられない東京発~西鹿児島行きの急行列車である。
 
おそらく総走行距離は1500kmくらいだろう。
上野から青森の往復に近い。
 
見送りに来ていた今回初めての長旅をする金井君の母親に手を振り、早朝東京駅を出発した。
 
我々の指定席は、先頭車両の一番前! でも大阪までしか取れなかったので、大阪から先は、この車両を牽引していたEF58の連結側のデッキに新聞紙を敷いて座り、照り付ける西陽を浴びながら開けっ放しのデッキを流れる明石の街を眺めていた。
 
 
すると同じようにデッキに移動してきた2人の大学生らに、お前等もか! 同類項だな・・・・と呼ばれた。丁度数学で同類項をならったばかりだったことも有り、意味が解ったのと同時に、大人の大学生に、「よう~・・!同類項! 」と呼ばれ、同じ旅人として子供扱いされなかったことがとても嬉しかった。
 
 
やがて岡山に到着し、我々は、仲良くしてくれた大学生に別れを告げ、荷物とともに1線番線のプラットホームに降りたった。
 
折角初の西日本を訪れるのに、D51の三重連で有名な布原信号所のある伯備線に寄らない手は無い!というわけで、当初の計画通りの行動だった。
 
伯備線は倉敷と鳥取県の米子を結ぶ南北に長いローカル線だが、列車は殆どが岡山駅から出発する。中国地方ではC57の重連で有名な播但線と並ぶ瀬戸内海と山陰を結ぶ貴重な路線でもある。
 
翌朝の米子行きの始発に備え、我々の今晩の寝床は、岡山の駅のホームのベンチだった。まあ、本当の理由は手持ちの資金が潤沢に無いからに他ならない。
 
降りたホームは山陽本線の夜行列車が到着するホームだったので蛍光灯が一晩中点いており、眩しくて寝られたもんじゃないので、薄暗い伯備線のホームに移動し、今晩の塩梅の良いねぐらを探す。
 
3人とも中学1年なのに半ズボンを履いていたので、駅の職員が、我々を家出少年と勘違いして何回か様子を見に来たが、三脚とカメラバックをカバンから出して見せ、そうではないことを伝えると、急にニコニコしながら話しかけられた。 キャノンとかニコンとか時々聞こえるカメラ用語意外は、誰も喋っている意味が全く理解できなかった。笑
 
考えてみれば初めて聞く、西日本地方の方言だった。
 
やがて眠くなったので、各々が着の身着のままで、ホームの木製のベンチに寝転がった。 夏の旅は、こんなことが出来るので貧乏旅行者には都合が良い。 故か蚊は居らず、快適に翌朝まで熟睡できた。
 
 
翌朝は5:30頃の始発の気動車に乗り、とりあえず新見機関区を目指す。
 
イメージ 3
降りたホームにはD51が牽く 岡山行き上りの客車が・・・・
白い帽子の半ズボンは 金井君!笑
 
イメージ 4
新見機関区 転車台! 以前は各地のターミナル駅で、こんな風景が見られたものだ。
 
 
イメージ 5
夥しい量のD51! ♪ 僕~等は、みんな~生~きている~ ♪
 ♪ 生き~~ているから、熱いんだ~♪
 
 
 
イメージ 6
丘の上に登り、全景をのぞむ。 見本のような美しい扇形車庫!
暑い日だったが、 何と素晴しい光景だろう!
外道のデデゴシ/デデーゴーヨン(DD54)もいるでよ・・・
 
その後、
イメージ 7
切符を買って、あまりにも有名な3重連の撮影地、布原信号所の先の鉄橋のたもとを目指した。
 
ここは本来乗降客が降りたつ様な駅ではないので、SLファンくらいしか降りない。降りた気動車が汽笛と共に立ち去ったら、備中神代方面に線路の上を歩き、前方の鉄橋を渡り、そこから右手に登ると、ちゃんと段々に整地してある斜面があり、既に先客が三脚を並べ、たくさんの砲塔を、信号所の方に向けて、撃ち方用意の態勢になっている。
 
すると、その中に、その年の春、山形の米坂線で一日行動を共にした30歳代の痩せぎすのおじさんが偶然居て、声を掛けられた。
 
おやおや・・・  でも、こんなことは珍しくも無いことで、休みともなれば、1年中大抵同じような場所を目指して行動しているので、東北や北海道などの撮影地ではよくあることだった。
 
SLファンなら大人も子供も関係無いのである。有るのは軍資金の違いくらい。
 
イメージ 2
<撮影データ> 
MINOLTA  AL-E Rokkor 40mm  F11 1/125 コダカラー サービス版600dpiスキャン
 
ひとまず、D51の重連が来たので、カラーフィルムが入ったサブのカメラで腕試しで1枚! 前補機~もっと煙噴けよな~~!
 
 
イメージ 1
<撮影データ> 
PENTAX S3 スーパータクマー135mm F8 1/250 FUJI ネオパン 600dpiスキャン
 
布原信号所で出発を待つセメント列車のD51三重連。
ここは出発してすぐ25/1000の急勾配。思い切りボイラーに圧を掛け
無ければ、長いセメントの貨車を引っ張れないので猛烈に煙を噴く。
というか停車中の3台のD51の煙突からは既に凄い煙だ!
 
やがて汽笛が、ボゥオ~ッ! ボァオ~ッ! ボゥオ~ッ!と山間に響き渡り、力強いドラフトと共にこちらに接近してくる。
 
 
イメージ 10
SLマニヤ御用達の定番 SLICKプレートデラックス
 
父親から借りてきた重くてごついベルボンの三脚の雲台に画像のSLICKプレートデラックスを点け、PENTAX S3と MINOLTA AL-E を並列に取り付け、レリーズを構え臨戦態勢にはいる。
 
 
イメージ 8
PENTAX S3 スーパータクマー55mm F1.8 + 純正露出計(ネットから画像拝借)
 
そして、いよいよ先頭の機関車が鉄橋に差し掛かった刹那、親父から貰ったPENTAX S3は、シャッター下りず、ペンタの定番故障のミラーUPの状態に・・・
 
およよ!撮影不能!
 
慌ててMINOLTA AL-Eを外し、手撮りで対応・・・しかし後で現像したらブレブレのピンボケだった。
伯備線の3重連、結果 ろくに撮れず・・・!
 
これから九州遠征だというのに・・・
 
イメージ 9
MINOLTA AL-E  ロッコールGF40mm F1.8 
意外と明るいレンズだったんだな~・・・
 
一般家庭向けのMINOLTA AL-E 準広角だけで、望遠も無しでこれから10日間 どうすりゃいいのさ・・思案橋!
 
次回は・・・
ペンタックスのミラーアップ故障失意の北九州、SLのメッカ筑豊線と折尾のヘンテコラーメンの巻!
 
まさかのお腹いっぱい過ぎて、大好きなSLに飽きる・・・・・? 
 
 
 
 
 
 
 

いよいよあと30日!

$
0
0
最近関係ない記事ばっかりですみません。多趣味なもんで・・・(笑)
 
 
 
冬眠を終えた仲間たちが、変態の森から陽の当たる世界へ年に一度だけ
出てこれる機会、ルマン会議/ループマン会議までいよいよ一か月ですね!
 
 
後で当日の集合時間や、注意事項等、事務局から正式なアナウンスがあると思いますが・・・・・、
 
ループマン会議議長でもあり、今回の第6回変森会議の幹事をしていただいているまるてんさんから提案があり、緑の募金ならぬ、黒い/赤い変態の証バッチのチャリティー募金をすることになりました!
 
イメージ 1
20mm×20mmのベースがメタルの樹脂コーティング ピンバッジです。
 
僕の私の・・君らのワシの・・・・変態レベルをますますUPさせること
必至のお洒落なアイテム。 霞が関や赤坂のじーさんばーさんもドッキリ!
これは、正式議員バッジとしても有効でかなりのステイタスがある逸品です。
 
 
多分一個¥500で当日販売予定です。 マルテンさんの手際次第ですが、
仕事と同じで納期はしっかり間に合わせる男です。(爆)
 
本音を言わしていただきますれば、規模もだんだん大きくなり、個人の手弁当では到底振りまわしや仕込みが厳しくなってまいりました。
 
運営費用、雑費等捻出の為のチャリティーでございます。
 
まるてんさんに変代りまして、是非主旨をご理解頂き、御協力のほど宜しくお願い致します!!!! 
 
 
あ、それから、当日の案内や立ち番のボランティアスタッフも!!
 
 
あ~ Tシャツも仕込まなきゃね~~

ルマン会議に参加される評議員ライダーにお願いです!

$
0
0
第6回輝け! 全国ルマン会議/第2回 全国ループマン会議 に出席される議員さんに重要な お願いが有ります。
 
5月11日の会場となるMOTOTECAのある はぶかるフォレストデッキは 
 
 
イメージ 1
 シアトルスタイルのカフェ「モトテカコーヒー軽井沢」以外に2つのお店⇒ ケーキブティック「ピータース」、幅広いメニューがそろう「フォグダイナー」の3店舗が入る複合施設です。
 
イメージ 2
ケーキブティック  ピータース
 
 
イメージ 3
幅広いメニューがそろう フォグダイナー
 
イメージ 4
軽井沢 セイジョー
 
 
 
 
星野オーナーの近隣店舗へのご配慮で、ある程度ご理解は頂いておりますが、当日の9:30~お昼過ぎくらいまでは、半貸切で事実上我々が占領してしまい、バイク置き場となると、パーキングが地続きのドラッグストア セイジョウにまでその勢いが及んでしまうことになりそうなので、事務局とMOTOTECAオーナーの星野さんからお願いがあります。
 
是非積極的に、↑のお店、「ピータース」「フォグダイナー」「セイジョウ」の3店舗のご利用を頂きたく お願い申し上げます!!
 
 
また、隣が軽井沢警察という防犯・治安上 最高の条件となっているため(笑)
歩道やR18号沿いにバイクを駐車することは、お店にも迷惑がかかり、星野オーナーが現在取り組んでいるモータリゼーションを取り込んだ各種の文化的な活動にも影響を及ぼしかねません。
 
当日施設内の駐車スペースをオーバーフローしてしまった場合は、国道を挟んだ反対側の普段は従業員が停める未舗装のスペースにも誘導せざるを得ません。
 
その場合、お店へのアプローチでR18を横断しなければなら無いのですが、休日は交通量が多いので、原則的には歩道橋の利用をお願いします。
 
国道を横断する人の為の交通案内や誘導は、道交法上権限がないのでできません。
 
また運営上、車両を止める段取りは誘導するスタッフの案内に素直に従って下さい。早く帰りたいからワシはここがイイとかの我儘はご容赦お願います。
3時間程度のことなので、ご協力よろしくお願いします。
 
それから・・・・ 前回、乗ってきたバイクオーナーの好意で前の国道を試乗されていた行為が記憶にあるのですが、近隣への影響もあり、また何かあったらお互い気まずくなるので、開催中の施設付近でのその類の行為はご遠慮下さい。
 
 本来の趣旨は、GUZZI繋がりのブロガーの人達が実際に繋がる機会を提供し、その後、個々各々が地域毎にコミュニティーを新たに形成し、発展させ、情報交換の為になれば・・・と思い始めた集まりです。ある程度の役割を終えたと判断できたら、発展的解消も・・と考えております。
 
イメージ 5
 
と言う訳で、全国ルマン会議、別名 変態の杜(森)会議、回を重ねるごとに規模が大きくなり、このままではおそらくMOTOTECA開催は今年が最後になるかもしれません・・・涙
 
何かトラブルが起ってからでは、ジェントルマンたるGUZZIオーナー達のお祭と主旨がリンクしないものになってしまいます。
 
 
長々お願いばかりになってしまいましたが、・・・・
 
諸般の事情 察し頂き、前会議の中棚荘の5月10日を含めた
両日、「大人の対応」を重ねてよろしくお願い申し上げます。
 
らしくない、硬い内容でスイマセンねぇ・・・
 
ホントはこういうのは、ワシ得意じゃないのよ・・(爆)
 
                 Motoguzzi 価値評価向上委員会 ドカマン
 

いよいよ九州上陸!いきなり筑豊本線でSLに飽きる? でもその前に信じられないエピソード!

$
0
0
伯備線の撮影を終え、ボンボンの金井君、秀才の阿蘇川君、そしてワシの中一3人組は再び夜行急行に乗って九州をめざした。
 
イメージ 1
その時我々が持っていた九州周遊券の表紙
 
 
実際中にホチキスで止められていた九州周遊券B A券は確か最初に降りた駅で没収される。
イメージ 2
学割で半額の¥4050だった。 途中下車した駅では改札でホチキスの小さいのみたいな形状をした駅名のハンコを押されるのだが、駅員によっては持っていないことがあり、ただ確認だけの場合があった。
 
この他、鹿児島本線では折尾駅、筑豊本線では、仲間駅、筑前内野 長崎本線では肥前山口、日豊本線では、南宮崎、青井岳、都城 霧島神宮・・・なども下車したのにもっとハンコが欲しかった。
 
そうそう・・・前回の伯備線の記事に桜島51号に乗って、指定券が大阪までしかなかったと書いたが、その時の指定券が見つかった。
イメージ 3
 大阪までの指定席急行券が¥600! 
 
イメージ 4
僕等が乗ったのはくすんだ青の42系急行型客車 スハフ42 1号車の一番前と記憶していたがそれは大阪以降の先頭のデッキに大学生と同類項で岡山まで過ごしたからで、実際は2号車16のABCだったようだ。  1号車の先頭ボックス席から顔を出してる金井君。
 
これは多分名古屋でしばらく停車していた時1号車に移動してきて撮ったの
かもしれない。  しかしこの後金井君と僕が名古屋のホームで牽引していた電気機関車EF58をホームに降りて、これは以前EF66の前に九州行の寝台特急のブルートレインをけん引していた機関車で今は格落ちの急行を牽居ているんだね・・・なんて言いながらしげしげと観察していたら、乗務交替する機関士さん達が僕等に声を掛けてくれ、何処まで行くんだ? 九州に行く記念に運転席に乗るか?と言われた。
 
最初冗談かと思ったが、どうやら本気らしいので、麻蘇川君に事情を伝え、交替で乗ることにして、僕と金井君の2人で最初に機関車の後のホームの反対側の扉に先頭車のデッキから連結器をまたいで後の運転席の扉を開け乗り移った。
 
幅50cmほどの暗くて狭い通路を通る。脇では停車中でも大きなコンバーターのような装置がゴー~~~と唸りを上げている。やがて先頭の運転席に繋がる小さな扉を開けるとEF58の運転席に出た。
 
中は3畳弱ほどの大きさで、大人が立つと天上は意外に低い感じだった。
今思えばトヨタのメガクルーザーの座席のような離れた機関士と助手席の配置に明るいグリーンだったか青の別珍の生地の四角い小さなシートが背後の壁に沿って配置されており、そこに2人は座らされた。
 
間もなく名古屋を出発するベルが鳴り、いよいよ桜島51号は走り始めた。
最初走り始めた時は興奮していたが、段々冷静になってくると、いろんなものが目に入ってくる。機関士の右前方には東海道本線の全ての駅名が入った運行表が貼ってあり、通過時間が15秒単位で記載されている。
 
急行なので主要駅以外は全て通過するのだが、その通過タイムが、殆ど遅れも早くもならず、14時33分15秒、 14時45分30秒、といった感じでピッタリ駅のホームを汽笛をピーッっと鳴らし通過していくのだ!   子供心にその正確さに驚くと共に世界に誇る日本の鉄道の凄さに感心した。
 
停車駅では、機関士さんや機関助手さんに駅員に見られるとまずいから伏せてろと言われ、そのたびに窓枠の下に嵌って身を伏せていた。
それがまた最高に面白ろかった。
 
関が原辺りでは、金井君と交替で機関士席に座らせてもらい、実際走行しているEF58のスロットルに手を掛けて
帽子まで被らせてもらい 記念写真を撮ってくれた。 何百人が乗っている実際90kmぐらいの速度で走っている桜島51号でだ!
 
今なら懲戒免職どころの話じゃないことだろうが、なんともいい時代だった。
 
 
我々は名古屋から関が原の峠をこえ、岐阜、大垣、米原辺りで麻蘇川君と交替する予定だったが、そんなことを繰り返してるう内に機会を逃し、とうとう大津、草津郡山を過ぎ京都まで来てしまい、やっともとのようにホームの反対側の通路を通り連結機を跨いで1号車に戻った。
 
お土産にと機関士さんがほんの今まで使っていた名古屋から京都までの運行表を抜いて、渡してくれた。
 
今でも淡い記憶に残る夢のような時間だった。 
 
やや西に傾きかけた太陽に向かって走った関が原付近の東海道本線は、上りと下りが必ずしもパラレルに揃った複線ではなく、それぞれが勝手に蛇行する面白い区間なので、機関車の2つの窓からみる景色の記憶は未だに網膜に刻まれている。
 
昨年の桜が咲く頃、岐阜のおじさんの家に泊まって、ルマン会議の打ち合わせをした再、出張先の大阪から新幹線に乗るのが嫌だったので、大阪から大垣まで東海道本線の在来線に乗り、逆のコースで走ってみたが、方向が逆だったし、天候が季節はずれの雪混じりだったこともあり、記憶にあるイメージをトレースすることは叶わなかった。 今度もう一度名古屋~京都間、特に関が原付近を同じ時間帯同じ季節、同じ方向の在来線の先頭車に乗って走ってみたい。
 
 
僕等が交代で戻ると、一人で心細く2時間以上一人で過ごした麻蘇川君は、大阪まで乗る?と聞くと力なく首を横に振った。 何となく複雑な嫌悪感が自分の胸を支配していた。
 
でもその後は前回書いた記事どおり、岡山までヒッピー風の大学生に相手にしてもらい楽しい時間を過ごさせてもらった。
 
 
前置きがかなり長くなってしまった。
 
九州へは前日乗ってきた桜島51号に岡山で再び乗り夜中走って関門海峡を渡った。 小倉で目が覚めたので途中は全く記憶が全く無い。
 
九州最初の日はSL天国の路線、筑豊本線を撮る予定だった。
 
僕等は当時国鉄では珍しい立体交差構造の駅折尾駅(多分秋葉原とここくらい)で降りて、仲間駅方面に線路伝いに歩き、三脚を構えた。
 
 
イメージ 5
D51382 筑豊本線 折尾~仲間 PENTAX S3 スーパータクマー 55mmF1.8 1/125
 
まだ筑豊炭鉱が十分稼動していた時代だったので、ひっきりなしに石炭列車や貨物列車がやってくる。
 
鹿児島本線がタダの複線だったのに、ここは本線とはいえローカル線、ところがその本数の多さから復復線になっていた。持ってきた運行ダイヤ表を見てもどの線からSLがやってくるのか全然わからず、カメラをセットしていると全く違う線路にドラフトが響いてSLが駆け上がってくるので、慌てて撮るもんだからろくな写真が撮れず苦労した記憶がある。
っていうか中一の小僧なので下手くその極み! 爆
 
 
イメージ 6
c57170 筑豊本線 折尾~中間 PENTAX S3 スーパータクマー 135mm F3.5 1/250
 
 
 
イメージ 7
大正時代の老兵 D50の軸重軽減改造車 D6032 筑豊本線 折尾~仲間 MINOLTA AL-Eロッコール 40mm F1.8 1/125
これは煙突がD51のように真っすぐなバケツ型の円筒形のD60でかなり珍しい。
 
イメージ 8
D6025 筑豊本線 折尾~中間 PENTAX S3 スーパータクマー 135mm F3.5 1/250
これがオーソドックスなD50と見た目が同じような形煙突の形と前部のスチームだまりのタンクが特徴的なD60
 
イメージ 9
ご覧の通り、軸重を軽くする・・・つまり線路への負担を軽くするために動輪の後の車輪をD50の1つから2つに改造されている。レールの規格が本線用の物よ1ラン細い準本線用のレールを使っているローカル線に適した形式だ。
 
 
筑豊本線の凄いとことろは、近隣の八幡製鉄所や若松港や直方機関区を拠点にして周辺の支線(後藤寺線・日田彦山線など)が複雑に絡んだ地域性もあり、若松~飯塚間は C11 D50 D60 8620 9600 C55 C57 D51 国鉄の殆どのSLが稼動していたので、  数分おきに夥しい本数のSL列車が走ってくるのだが、折尾~仲間間はロケーションというかあまり景色がよろしくないので、あまり良い感じの写真が撮れず、午前中の3時間でなんと飽きてしまったのだ。
 
腹もへったので、折尾駅前のしなびた食堂に入り一番安いラーメンを頼んだときに事件は起きたのだ。
 
何と出て来たラーメンがインスタントの塩ラーメンの出来損ないのような、変な臭いで味も今まで喰ったことのない、麺は生煮えで固い飛んでもない代物だった。 しかし小遣いも限られており食べない訳にいかず頑張ってなんとか食べ終えた。
 
入った店が失敗だったね・・・と反省し、また飛び込みでハズレな店に入ったら大変だということで、それから九州では一度もラーメンは食べなかった。
 
その後あの変なスープのラーメンは九州特有のラーメンだったと気が付いたのは、その後だいぶ経った社会人になってからで、吉祥寺に火の国ラーメンが出店し、そこで食べたラーメンが同じような味だった。
 
それがトラウマになったのか、今でも豚骨の白いスープはあまり得意ではない。
その点北海道で食べるラーメンは何処で食べても美味い。
 
 
午後からは接近している台風の影響で雨模様になったが、当時伯備線のD51の3重連と並び、筑豊本線の冷水峠越えでもD60の3重連の運用が見られたので、筑前山家駅へ向かい、筑前内野方面に1kmほど歩いた踏み切り近くで雨の中 D50+D60+?の3重連を待った。
 
伯備線で故障したペンタックスが何故か午前中、気まぐれに復活していたが、再びミラーアップしたままになりご臨終したので、バカ重いベルボンの三脚にまたMINOLTA AL-E 間抜けな感じでとりつけて撮影した。
 
どのくらい情けないかというと、N360にランクル60の足回りを付けた感じ。
イメージ 10
めずらしい D60+D60+D50の3重連  筑豊本線 折尾~仲間 MINOLTA AL-E  F1.8 40mm 1/125
 
やがて猛スピードで3重連は雨の中、湿った草いきれの臭いの中をあっという間に走り抜けて行ってしまった。 正直こんな峠で補機2台も必要なの?と思ったくらい迫力にかけた3重連だった。多分回送車が連結運転されていたのだろう・・・
 
買ったばかりのお気に入りのベージュのデザートブーツがこの雨でメロメロになってしまい、一発で型崩れしてしまったのがとても残念だったことが記憶に残っている。爆
 
その日は新飯塚駅で降り、初めて見る黒いボタ山に何故か圧倒されながら、長い山道を歩いて、山の上に建っている八木山ユースホステルに辿りついた。
 
人生初めてのユースホステルだったが、綺麗な施設だったが、記憶があまり無い。多分疲れすぎていたためだろう。
 
同泊の人達は皆高校生や大学生だった。
 
翌日は博多に戻り、唐津線経由で有田駅に向かい、何故か両親に夫婦茶碗のお土産を買ってから、長崎本線のC57を撮りに大村湾の駅をめざしたが、有田で時間をつぶしてしまい、時間がなくなってしまったので、早岐機関区構内で写真を撮った。我々の中で何故か有田焼がものすごくメジャーな存在だった。笑
 
イメージ 11
C57 C11 早岐機関区 MINOLTA AL-E F1.8 40mm 1/125
 
ここでやっと北九州の特徴である 門司鉄道管理局のSL特有の 通称 門鉄デフ のC11と C57に出会えた。
 
イメージ 13
門鉄デフのC57  MINOLTA AL-E F1.8 40mm 1/60
 
解説しよう・・・シリンダーの上の煙を上に立ち登らせる為の両脇の2枚の排煙板(デフレクター板)が門司鉄道管理局管内の車両は、通常のものと違い、簡素化されており軽快でスタイリッシュなのでSLファンには人気があった。その後SL末期には全国のローカル線に再配備され北海道でもその姿は見られた。
 
イメージ 12
C57198  MINOLTA AL-E F1.8 40mm 1/125
大きな動輪が美しい旅客型機関車。
 
その後台風7号が接近し始め、その日中に金井君の親戚の家がある大分市まで九州を東西に横断しなければならなかったので、大急ぎで鳥栖に向けてDD51が牽く急行に乗りこんだ。
鳥栖で久大線に乗り換え、台風7号とおっかけっこをしながら大分に向かう。
 
途中、鉄橋を渡る度に川の水かさが増しているのが判り、おそらく我々が乗った急行が最後で、それ以降は全て運休だったろう。
乗れなかったら足止めだった。
 
大分に到着した時は夜も更けて、風雨は酷くなり、初めて体験する九州の台風の凄まじさにかなりビビッて金井君の親戚の家なのになかなか寝付けなかった。
風の凄さが違うと思ったものだ。
 
 
イメージ 14
中一3人半ズボントリオ 左から 私 麻蘇川君 金井君  別府血の池地獄
 
イメージ 15
佐賀関の岩浜にて   まだまだ 立派なガキだった・・・
 
このころは写真の技術も全く知らず、ただ撮っていただけの酷いものばかり。
 SLに対する熱も、どうだったかかなり怪しいもんだった。
九州に入ってたった2日で飽きてんだもんね・・・。
 
当時の九州は石炭の産地でもあり、蒸気機関車が沢山活躍していたのだ。
 
この後は日豊本線のC60やC61を追い、その後人吉機関区とB20が居る鹿児島機関区を目指し、時計周りで霧島神宮まで行ったが、台風7号の土砂崩れに阻まれて、そこで足止め。 時間はどんどんなくなり 泣く泣く引き返し、途中南宮崎の駅で野宿して、既に帰りの切符を手配していたので、そのまま小倉から東京に向かう桜島51号に再び乗ってヘロヘロになって浦和に帰ってきたのだ。
 
 
イメージ 16
その日は、小倉の高架線のようなホームで食べたカシワうどんがものすごく美味かったこと以外は全く記憶が無い。多分24時間くらい列車の中で寝ていたのではないかと思う。笑
 
全日程11日 うち車中4泊 駅のホーム2泊 ユースホステル2泊 親戚の家2泊
 
帰宅したら当時、三十数キロだった体重が4kgも減っていた。
 
食べた物で記憶があるのは、新見で食べたワタナベの粉ジュースがシロップの他にかかっている馬鹿でかい標高30cmはあるカキ氷!と 大分で食べた地元のお菓子ザビエルと 最後の夕飯 小倉駅のホームのカシワうどん・・それくらいで
他はろくな物を食べてない。爆
 
昭和46年の夏、台風7号に翻弄された 僕らの最初の長距離の旅の顛末である。
 

ドカマン的蒸気機関車の旅 第3章 米坂線の老兵9600型

$
0
0
このシリーズ、意外に一部の方に好評なので、調子にのって第三章をUPしようと思う。
 
本当は古い順にUPするのが時代背景の移ろいも判り、その方がいいのだろうけど、資料整理が終わらない内に、インパクト重視で第一弾の冬の函館本線C622からスタートしてしまったので、今さらどうにもならないので、資料が揃った順、つまりアトランダムに行かせて頂きたい。
 
それでは、今日は、僕が丁度浦和の別所小学校を卒業し、白幡中学に入学する狭間の春休みに山形県の米沢と新潟県の坂町を結ぶ、飯豊連峰の裾野を山脈に沿って走る米坂線を走る大正時代誕生した貨物列車牽引型の老兵9600型のSLを撮影した時の旅を写真ともに振り返ってみましょう。
 
前回の九州の撮影旅行が中一の夏だったので、その3ヶ月前の昭和46年4月初旬、僕は米坂線(ヨネサカセン)に向かう計画を練っていた。
 
何故米坂線だったかというと、その3ヶ月、生まれ故郷の盛岡の祖母の家に両親と一緒に正月を過ごしに帰郷した際、花輪線(秋田県:大館~岩手県:好摩)に大正時代生産された旅客列車牽引タイプのSL、8620型を撮影していたので、次は是非同年代の貨物列車牽引タイプの9600と心に決めていたのだ。
 
昭和46年当時、この無骨でずんぐりした老兵9600がみられる路線は、北海道と九州が殆どで、本州では東北の米坂線のみだった。
まぁ8620型(通称ハチロク)も本州では、北東北の花輪線と五能線に限られていたので、要は絶滅危惧種から・・というわけだった。 情報は同じ趣味を持っていたボーイスカウトの友人、宇田川君から詳しく聞いていた。
 
彼の祖父は古くからのSLファンで、彼もその影響を受け祖父のお供で関東近郊の八高線によく撮影に通っていたらしく、そんな彼の一番好きなSLがその9600型(通称キュウロク)だったので、彼に聞くのが手っ取り早かったのだ。
 
でも、彼の情報で決定的に間違っていた情報があった。それは米坂線の読みを「マイサカセン」と呼んでいたこと。(笑)  まぁ、彼にはいろいろ世話になっていたので、彼の名誉のためにも、あえて指摘するような野暮なことは言わなかった。
 
米沢と坂町を結ぶローカル線と言うことは知っていたはずなのに、秀才の彼が何でわざわざそう呼んでいたいたのだろう・・?もしかして、彼の祖父が間違ってそう言っていたのかもしれない。 彼が中大付属の鉄研に入部するころには、ヨネサカセンと言っていた気がする。(笑)
 
プロローグはこれくらいにして・・・・・
 
イメージ 1
 
イメージ 2
小学校卒業したので周遊券は半額はならず、かと言ってまだ中学には入っていないので学割も無く、なんと定価の¥3600の南東北周遊券を買わねばならなかったのは誤算だった。
 
何故か母が急に蒸気機関車が見たい!と言って付いて来ることになった。
 母はいわゆる変人の部類にはいる人で、盛岡に居たころは、地元の山岳会に入っており、幼い僕を祖母に預け、岩手の山々を登っていたらしい。 小学校の友人達の母親達とはだいぶ違ったタイプの母親だったと思う。
 
今振り返れば、一人っ子の息子を一人で東北に出すのが心配だったのだろうか・・・?とも思えるが、その変人ぶりから、その時は、若いころよく見た蒸気機関車をこの目の網膜にしっかり見ておきたいし、早春の飯豊連峰の山々を見てみたいと言っていた言葉を思い出す。 網膜に・・という言葉はかなり強烈に記憶に残っている。まぁ宿泊費を出してくれるというので、快く申し出を受けた。
 
イメージ 3
撮影先の米坂線 羽前沼沢駅にて・・・ このとき母親39歳!
入学祝いに前倒しで父親に買ってもらったSEIKO ファイブ・アクタスが板に付いていない。
 
おそらく夜行の急行津軽か臨時急行鳥海51号か急行 おがの のいずれかだったろう。その辺の記憶はない。
 
早朝の4時半ごろ、まだ陽が遅い真っ暗な米沢駅に着いて、蛍光灯が明るく照らすホームで待ち、一番列車の米坂線の気動車に乗った。 そのディーゼルカーの中で富山の矢放さんという50代くらいのおじさんと、もう一人東京出身の20代位の人と知り合い、その日は一日彼らと行動を共にすることになる。
 
何故矢放のおじさんを今でも覚えているかというと、その旅から帰ってから何年か文通が続いて、手紙が残っているから覚えているのだが、未だにそのおじさんの名前の読み方が判らない。さっき調べたら、ヤハナシというらしい・・(爆)
 
イメージ 16
長井線が分岐する今泉駅に到着すると、乗ってきた車両が長井線(現在は廃線になった)に向かう車両と連結が離れる間、結構ホームに停まっていたので、上り米沢方面に出発する9600の重連の貨物を駅構内で狙った。
 
イメージ 4
79607 米坂線 今泉駅 MINOLTA AL-E ロッコール 40mm F1.8 1/125
 
時間に余裕が無かったので、サブ機の例のMINOLTA で手持ちで撮った。
79607って変なナンバープレートだが・・・もともと大正時代のSLは、イギリスから輸入されたSLを参考にして作られたので、その形式を継承していました。
 
したがって国産でも数字4桁だったが、台数がふえてしまい、元々の4桁の前に百の位の数字を足して苦し紛れの表記方法だった。 当然初号車は9600 2代目が9601 19600は101台目、すると、79606は707台目という事になります。判り難いですねぇ~!昭和の時代に入り、D51とか、C58日本独特の形式で動輪の数を形式名にした呼び方になったのだ。
 
 
イメージ 5
米坂線 49681 手ノ子~羽前沼沢 PENTAX スパータクマー135mm F5.6 1/250
 
やがて米坂線の有名な急な登坂区間が続く手ノ子~羽前沼沢で撮影をするため、手ノ子駅で降り、皆で羽前沼沢方面にカメラバックを三脚を担ぎ、2kmほど歩くと、最初の貨物が手ノ子駅方面から25/1000(25パーミル)という急勾配を力強いドラフトを響かせ結構な速度で登って来た。
 
イメージ 6
この様に煙があまり上に上がってない写真があるが、これ速度が速いことを現している。 拡大するとナンバープレートが縦にやや広いものが着いている。
これは、形式名が下に小さな字で書かれている旧式の貴重なプレートですね・・・。
 
イメージ 7
米坂線 79606 手ノ子~羽前沼沢 PENTAX スパータクマー55mm F8 1/125
 
更に枕木の上を何キロか歩き、雪の飯豊連峰をバックに、急勾配の下りを絶気運転(蒸気をピストンに注入しないでバルブ開放)で軽快に走り降りてくる客車。煙は無いが、藁葺屋根の民家と好対照な動きがある写真が撮れた。
 
この民家今でも在るのだろうか・・・?
 
イメージ 8
米坂線 9600 手ノ子~羽前沼沢 PENTAX スパータクマー55mm F8 1/125
 
頑張って沿線の里山を膝まで雪に入って山登りをして10時頃の逆光の中をゆっくり走る9600俯瞰で狙う。編成が短いので後補機は付いていない。 実はその時、聞きなれない俯瞰という言葉を初めて知った。
大人になった気がした。 
 
雪の中、母親は昔取った杵柄で俄然入りきって雪を物ともせずガンガン登っていた。そして山の上から腕を組んで走り去るキュウロクを観て、アッパレ!と叫んでいた。 やっぱり変な母親である。
 
イメージ 9
59661 米坂線 手ノ子駅 MINOLTA AL-E ロッコール 40mm F1.8 1/125
ここで手ノ子駅に一旦戻り、構内で上り列車の出発を撮影。
 
ここで余興です。
 
上の写真はすっかり変色してしまったカラーのDPE(同時プリント)のサービス版だが、フォトショップの色彩調整で色を復活させた画像だが、デジタル調整ついでに面白いことをやってみた。
 
フィルムメーカーによってかなり発色にキャラがあり、現像すると、その違いが出て面白いとう例である。
 
イメージ 10
小西六サクラカラー・・・・は何を撮っても、こんな感じに仕上がる。
肌色に自信あり~~!のCMで有名だが、
要は色相が赤みが強いのだ! 当然肌色は綺麗にでる。
何時撮っても夕方みたいに撮れてしまう。
 
イメージ 11
フジカラー ・・・このメーカーは緑系に振れる。夏は結構緑が映えていい感じに仕上がるが、冬は寒々しい。
 
イメージ 12
コダカラー ゴールド  名前の通りやや黄色味に振れるが一番バランスが良い。
 
でも日本の蒸気機関車は、やっぱり写真はモノクロがいいよね!
 
午後はまたディーゼルカーに乗って隣りの駅の羽前沼沢に移動し、今度は手ノ子方面に行ったり この線の峠がある伊左領方面に歩いたりして、良い撮影ポイントを探した。
 
 
イメージ 13
米坂線 49649 羽前沼沢~手ノ子 PENTAX スパータクマー135mm F5.6 1/250
 
 
この頃なると親父から卒業祝いに使うことが許されたPNTAX S3と望遠135mmの使い方やシャッターを押すたタイミングにもだいぶ慣れ、待てずに早めにシャッターを押してしまうことも少なくなっていたような気がする。
 
一緒に行動をともにしていた矢放のおじさんのお陰で、構図の撮り方や交換レンズの選択など、いろいろ教えていただき、とてもためになった。
 
 
イメージ 14
米坂線 79606 手ノ子~羽前沼沢 PENTAX スパータクマー55mm F8 1/125
 
朝、撮った79606が米沢から引き返して戻ってきたのだ!
しかも混合列車!(貨物と客車の混送)
 
 
 
イメージ 15
米坂線 69633 羽前沼沢~手ノ子 PENTAX スパータクマー135mm F5.6 1/2
 
デフレクターのブリッジの上に付いている四角い枠はトンネルの氷柱割る装置だ。
 
ふあぁ~~~・・・・ (あくび)
 
ここで睡魔が襲ってきたので、この後は
明日追記します。
ダメだ眠い・・・。
 
 
Viewing all 399 articles
Browse latest View live