ヤフーブログの【鉄道写真コンテスト】四季と鉄道 に出品しようと思いupします。
しばしお付き合いください。
私が高校2年だった昭和49年ごろの話だ。
道東の釧網本線の浜小清水駅からすぐのところに「おばちゃんの家」という元気なお婆さんが一人で切り盛りしていた民宿があり、当時のSLマニアの間では、宿泊代の安さと料理の内容の良さ、撮影地からも近いということで、一部で有名な宿でした。
その噂は日本中のSLマニアに伝わり、冬の極寒シーズンにもかかわらず、「おばちゃんの家」は道東を訪れる全国の撮鉄(当時はそんな言葉はなかったが・・・)で年末年始や春休みはいつもぎわっていた。
昭和49年の暮、友人と私は、その浜小清水のおばちゃんの家で年越しをするという予定を立て、12月30日の夕方、友人と石北本線の遠軽駅で落ち合うという事にして、いつも通り青函連絡船で北海道に渡り、翌朝室蘭本線の栗岡で撮影を終えて、その日の夕方に遠軽駅に予定通り着いた。
友人とはホームの駅蕎麦の前で無事落ち合えたが、何故かホームで鼻血を出していたのが今でも忘れられない。そして熱いかけ蕎麦を食べて空腹を満たした。
その後、2人で予約していた駅前の安宿に入り、再び外に出て、夜遅くまで駅構内でSLのバルブ撮影を行った。
昭和49年12月30日 22時頃 気温マイナス10数度・・・
<遠軽駅構内で待機する49600>
マミヤプレス スーパー23 セコール100mm f3.5 40秒 解放
エクタクローム
(元々6×9版を6×6版フィルムスキャナーでスキャンの為、正方形)
その後鼻水を垂らして宿に戻り、明日の石北本線の撮影に備え
冷えた体をおが炭ストーブで温めた。
マミヤプレス スーパー23 セコール100mm f3.5 1/60 f8.0 ストロボ発行
写真に写り込んでいるカメラは友人のヤシカの2眼レフと私の Nikon。
マミヤプレス スーパー23 セコール100mm f3.5 1/250 f5.6
D51○○○ 貨物 <石北本線 生田原~常紋信号所>
(元々6×9版を6×6版フィルムスキャナーでスキャンの為、正方形)
翌日大晦日は、常紋信号所でを撮影し、夕方網走からついに釧路本線に乗り継ぎ浜小清水の おばちゃんの家 に到着。
宿泊代の何倍もの年越しの御馳走を振る舞ってもらい、他のSLファンと一緒に計画通り節目の昭和50に向けて年越しができた。
そして年が明け 昭和50年1月1日・・・冬とはいえ、此処は東経144°
道東の朝は早い・・・
早起きして、カメラバックと三脚を担いで宿から数分の駅を超え、海側の小高い丘に登り、朝陽に向かって三脚を据え、網走方面に向かうC58が牽引する一番列車を狙う。レンズシャッターのマミヤプレスは、どんなに寒くても一眼レフのようにシヤッターが凍り付くようなことはかないので、道東の凍れる寒さには、心強い相棒だ。
↓これが コンクールに出品する写真です!
マミヤプレス スーパー23 セコール100mm f3.5
f11 1/125 エクタクローム
C58○○○ 客車 <釧路本線 浜小清水駅付近>
(元々6×9版を6×6版フィルムスキャナーでスキャンの為、正方形)
昭和50年元旦 暁と共にドラフトを響かせ厳寒の浜小清水を出発するC58。
工場建屋の遠くに霞むオホーツク海には、例年より早い流氷が流れつき始めていた・・・。
wiki-pで見つけた現在の浜小清水駅・・・・・
駅舎は綺麗になったようだが、海辺の加工場や町の建物も大幅に減り、道床も引き込み線も無くなってしまったようだ・・・・
私が撮った寒々とした元旦の写真と較べると、かつての街の方が活気が有ったように見えるのはなぜだろう・・・
何年か前に風の噂で聞いたのだが、平成の時代になる前におばちゃんの寿命とともに宿もひっそりと、その役目を全うしたそうだ・・・。