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Channel: MOTO GUZZI な おじさんの趣味とこだわりについて
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ワシの工作魂のルーツ・・・・宝箱発掘!

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年老いた父親の終活の手伝いをしに大宮の実家で整理をしていたら、
何でも取っておく癖のある親父が物置にしている開かずの間になっていた北の6畳間からある箱が2つ出土した。

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箱その①は、製薬会社に勤めていた親父の会社のダンボール箱と・・・

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箱その②は、泉屋のクッキーのブリキ缶である。



その①のジアスターゼのダンボール箱・・・・
実家の引越しの度に捨てられずに居たのは知っていたが、24歳の時、市川市から大宮に引越した時は確かにその存在は確認していたが、その後消息不明だった・・・。


その②の泉屋の箱はHOゲージのパーツを入れていたものだが、同時期に所在不明になってしまい、保管していた車両と線路及びパワーパックを出して、幼かった娘達にHOゲージを走らせて見せた時からずっと気になっていた。

ではその・・いわばタイムカプセルのような宝箱を開けることにしよう。




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およよ・・・・小学校の時のプラモデルだ・・・。
昭和40年代初めの浦和の家の懐かしい匂いがした。

チーフティン、アストンマーチン、M36ジャクソン、キングタイガーが・・・

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一段目を取り除くと・・・ポルシェカレラ10、アリゲーター・・・その他小学生時代の工作の残骸が累々と出土するではないか!

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セイコーの目覚まし時計の箱の中には、壊した(あくまでも当時のワシは分解と言っていたが・・)模型から取り出したギアボックスとモーター、スイッチ等・・当時の電池まで・・・笑

この時ワシは漠然と、大学の理工学部に進んでエンジニアになるんだと思っていた。
その数年後、数学が苦手で諦めることになるんけどね・・

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懐かしくなって、机の上に出してみた。

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大好きだったマブチ14モーター 15 25・・・
それに安っぽくて好きになれなかった次世代モーターのRE14、RE26・・・

小学2年からHOを始めた5年以降も、小学校の間はこんな物を使って、オリジナルのいろんな工作をする毎日だった。5年、6年は科学クラブに入り、カーテンレールで作ったモノレールの上を行ったり来たりする東京モノレールの模型を作ったりもしたっけな・・・。

ここで面白い化石が出土した。

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捨てちまったと思っていた、中一の夏休みの工作で作った二足歩行ロボットの駆動部が出てきたのには驚いた。これ作るのに苦労したっけ・・・

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解説しよう・・
これが胴体部分で、本来これに外骨格が付くのだが、これはあくまでシャーシである。単三の電池ボックスがタマキンのように股間の下に付いており、つまらん仕掛けの電源になる。

本体の電源は単一4本のもっと強力なものなので、重量を考慮し軽量化のため、リモコン仕様になっていた。

イメージ 9戦車のギアボックスを利用して、ドライブシャフトにイモネジで固定するねじ込み式のメタルホールを定規を切ったもの埋め込み、クランクを形成し、それと同じ寸法のクランクを上部にもパラレルにセットし、蒸気機関車の主連棒のような回転しながら上下運動するロッド(つまり脚)を左右に取り付け、地面に接する部分にコの字型の足を設け、それが交互に交錯するように回転する仕掛けになっていた。

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また上部のクランクシャフトにはカムが付いたドラムがあり、そこにロータリー
スイッチを作って・・・

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クランク軸の回転に伴ってON/OFFを繰り返し、股間の下の電池から供給される電源で胴体の上に取り付けた目の部分だけ抜いて黒く塗装したプリンのカップを逆さにしてロボットの顔にしたものに内臓された豆球が内部で点滅し、目だけ光る仕組み
・・・・結構凝ってた。

いざ夏休み明けに教室で駆動させた時は、胴体を上下にゆすりながら目を赤く点滅させながら二足歩行する木製ロボットに同級生はかなり喜んでくれた。

しかし、朝から散々デモをやったツケが廻って、肝心の技術の授業になり、先生の前でやった時、クランクの取り付けナットが緩んで、上下のクランクの同調が狂ってしまい、てなもんや三度笠に出てくる芸人さんのギャグのように片方の足先を前に突き出した状態で脚であるロッドが停止してしまい、そのままバランスが保持できず、転倒してしまったのだ。狂ったクランクを何回直しても、ロボットは手で持ってると、軽快に脚を回転させるのに、教卓の上において動作させると、歩き始めると数歩で脚を前に出して、停止してしまうのだ。友人達がそれをを見かねて、先生に授業の前まではちゃんと歩いてたと証言してくれたのがせめてもの救いだったが、肝心の自分がその停止した格好が、てなもんや三度笠のあの逆と全く同じで、笑いを堪えきれず、教壇の上で吹いていたのは内緒。

ちなみにその二足歩行ロボットの名前は、スペシャルロボットV1だった。
Vは当然ヴィクトリーさ・・・笑 当然、技術家庭は3年間5でしたよ。


ま、そんな与太話は置いといて・・・
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箱から出したプラモデル・・・

特にポルシェカレラ10(910)は本棚の上に誇りまみれだったものをそのまま仕舞ったようだったので、分解して酷い汚れを拭いてあげた。

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思い出したが、ラック&ピニオンのギアボックス構造でちゃんとステアリングを回すと前輪が切れる仕組みだったんだね~!

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エンジンにもイグニッションコイルからプラグコードが一本一本繋がっていて、結構凝ってましたよ、そういえば・・。中にモーターも仕込んであって、ユニバーサルジョイントでドライブシャフトも駆動した記憶があるなぁ~・・・


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当時の箱絵・・・ネットから画像を拝借(メンゴ!)

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これ、発売され、すぐに買った記憶がある。
今見ると、かなり雑! 許して下され!
最終段階の詰(デカール貼りとか、細かい塗装)甘い。


↓この丸いテールライトには豆球が仕込んであり、点灯する仕掛けになっていた。
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特に面倒くさくなって、黒マジックで雑にトリミングする悪い癖・・・
大人になっても変わらない・・爆

このころ、なぜか足型のシールにに凝っていて、何にでも貼っていたようだ。
この時代の物には、すべて貼ってあった。
生沢 徹が見たら怒るだろうな・・爆

これを作ったのは確か、小学4年。



それより前から好きで作って遊んでいたのが戦車!
でも絵の具の筆しか持ってない小学生にはカモフラ塗装が難しくてね・・・
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このパンサー・・・・小学3年冬。
当時大好きだった、細かいギザギザの葉っぱのような、今で言えばデジタルカモフラのような模様にしたくて頑張った末の駄作。

大失敗で見るのも嫌だった、やらばければ良かったと後悔したパンサー。


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翌年の春、4年になり買ったキングタイガーは、サンディブラン×オリーブドラブの2色迷彩。  キャタピラーは無いし、砲身は外れていたがちゃんとパーツはある。

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自分で調色したドイツ陸軍特有の軍服とヘルメットのブルーグレーはワシの拘りだった。それにしても雑だわ・・・。

設計図にもちゃんとした迷彩の絵が載ってはいたが、マスキングして時間をかけて塗るなんて、堪え性のある子供じゃないし、プラモは作り始めたら一日で組み立てるがもっとうだったので、塗装に時間をかけるようなことは絶対無かった。

それで、設計図や箱絵のような定型的な塗装は自分が満足いくレベルになりそうではなかったので、次第にワシオリジナルの塗装というジャンルを確立すべく、試行錯誤が始まる。

まず施工したのは、足回りが特徴的なM4シャーマンと腰下が同じM36ジャクソン

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もっとメタル的なダイカストモデル風に塗装できないか・・・・?
このころ、カッパー、シルバー、ゴールドを習字の全下ろしの筆に少量付け、シャカシャカと埃を払うようにして擦れたように塗るという自己流の技法をあみ出し、こればっかりやっていた。


イメージ 21
こんな実車はあるわけがないけど・・・・
今考えるとブリキや銅版で作られた、ディテールがいい加減なインテリア物の車やバイクがよく安っぽい家具屋に置いてあるが、そんな感じだねぇ・・・泣


そして、ついに小5の夏過ぎごろにタミヤからビックスケールのテーゲルⅠが発売されると同時に即購入しその為にレベルカラースプレー缶を始めて導入し、その習字の太筆シャカシャカオリジナル技法とのあわせ技が確立したのだが・・・

その後、作る戦車、皆同じ様な塗装を施した。

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ニットーの水陸両用車 LVT

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ゴムのキャタピラーは劣化して既にない。


最初にオリーブドラブを塗り、その上から習字の太筆に少量のシルバーや黒鉄色、カッパーを混ぜたものを少量つけて、筆先がプラモデルの箱の裏でやや乾くまで、擦って、それから車体にシャカシャカ筆をこすり付けるのである。

すると次第にボルトやビス、縁周りなどのエッジ部分だけが際立つように色が付き、全体的に輪郭がはっきりしてくるので、最後の仕上げで、オリーブ、サンディブラウン、シルバー、黒鉄色を有る程度の距離(20cm~30cm)から適当に好みで吹くのだ。

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その集大成がテーゲルⅠで、5年生の子供の日に高島屋の屋上で開催された戦車競技大会で風船割りに出場した際、成績は8位と微妙だったのだが、オリジナルの塗装が気に入られて、何とその後2ヶ月ほど、売り場のGケースに飾られたのだ!

ここでそのテーゲルⅠをお見せしたい所だが、残念ながら、なぜかこの宝箱には
それが入っていなかった・・・。


入っていたのは、ワシがHOゲージに移行する小5の3学期の直前のクリスマスに買った最後に作ったプラモデルである近代戦車の走り・・・英国陸軍の重戦車チーフティンだったが、同じような塗装をしたものだ。

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本来、サイドスカートがあるのだが、走らせるとキャタピラーが微妙に引っかかり上手く動かないので、取っ払ってある。

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実際には存在しない色だったりするが・・・・

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ワシはこ自己流の仕上げが気に入っていた。

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この埃っぽい、泥汚れが乾いた白ッ茶けた薄汚ないフィニッシュが好きだった。

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コノ頃にはハンダ等の電気工作もやるようになっていたので、半田ゴテでダメージ加工などもして、的外れなリアリティの追求も・・・・笑




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箱の中には、こんな残骸も・・・・・懐かしいでしょ?


ひとまず、プラモデル編はこれで終了して・・・・・




その②の泉屋のクッキーの箱に中身に話を移そう。

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そうです・・・・これは自作のHOゲージ・・・。  真鍮製のモデルは当時小学生の財布にはかなり厳しかったので・・・実はボール紙とバルサなどを切った貼ったで自作も何両か作っていた。

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上にかすかに見切れているのは・・確かグリーン車・・・DT13という板バネのボギー台車で一方向向きの座席の車両なので・・・おそらくスロ60の作りかけではないか・・・


その下は、昔湘南電車に連結されていたクモユニ74。  なんと哀れな姿だ。

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手前のは寝台特急はつかりで有名だったクハネ583のやや寸足らずのフリーランスの残骸。相変わらず細い線がでたらめ! 当時のワシにマスキングの技術を教えてやりたい・・・泣

フィニッシュは汚いが、セレン整流器で前進でヘッドライト、後進で、下の赤いテールランプが点灯し、もちろん動力モーターも内臓していた。

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1970年9月号の鉄道ファンの付録についていた設計図面を元に赤い線で勝手に切って短くして作った車両だ。

動力車でもないのに勝手にモーターを積みパンタグラフまで付けている。
だから、言うなれば・・・クハネ583ではなく、クモハネ583ですな。アハハ

これ小6の夏休みの工作で休み明け学校に持っていったら、誰も興味示さず・・・
空振りだった苦い記憶がある。だって当時HOゲージやってる奴はあの金井君とワシだけだったのだから、無理もない。



という訳で思わぬタイムスリップのひと時を敬老の日に味わった訳だが、
この箱を開けた際、昭和40年代の匂いがワシの鼻控を支配してたのは
言うまでも無い。


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今しばらく、机の上にこいつ等を飾って置いておくことにしようと思う。

長い間、箱の中に居て、さぞかし苦痛だったろう

当時いたいけな小学生だった落ち着きの無い小僧も、今では頭も白い萎びかけてる
器用貧乏のおっさんになっちまったよ・・・あ~ヤレヤレ・・・







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