今年の5月の連休にウダさんのカミさんの実家の里山でキャンプをした時に長女Aがスマホで撮った写真が今頃メール添付で送られてきた。
B25 スモールボディ・・もちろんワシのじゃなく、友人が最近仕入れた物。
中1のころ、ワシは親父から受け継いだくぐもった音のSUZUKIのガットギターで、瀬戸の花嫁や赤色エレジーを弾きながら安普請の家の四畳半で時々唸っていた。
さぞ近所迷惑なことだったろう・・・。
歌える曲というか、弾ける曲はアルペジオといい加減なストローキングでごまかせる曲だけだったので、好きな歌が必ずしも歌える訳じゃない。
だから、外に変声期のかすれたヘタな歌声が漏れ、その歌が自分の好みだと思われるのがとても嫌だった。
本当はサンタナやシカゴが好きなませたガキで、ギターを弾いて歌うなら、sus4とかMajor7とかdim系のコードを多用して・・・当時ヒットチャートで上位だったこんなの弾けたら・・・と妄想は果てしなかった!
Bread (ブレッド) The Guitar Man
・・・しかし現実は・・・ハイコードなんてプロが使う"押さえ方”だと勝手に思っていたし、知ってるのは、Am Dm Em C G F G7 Am7 Dm7 くらい。
・・・という訳で、ワシが楽器で歌える歌は
結局 瀬戸の花嫁か赤色エレジー・・・
思春期の自分としては、かなりつらい・・・ 爆
しかし、春が訪れ受験が終わり、無事志望の高校に入ると、念願だったフォークギターを日本橋東急の楽器売り場で手に入れていた。メーカーはまたSUZUKIだったが・・・。笑
入学してすぐに同じクラスに2人の友達が出来た。
人懐っこいイシッチョとどこかクールなカトーシという奴らだ。
入学前にバスケ部だったワシは写真部に入り、バレー部だったイシッチョはミュージックアソシエーションというサークルに、陸上部だったカートーシは、また陸上部に入った。
3人の共通の趣味がギターだったこともあり、休み時間や放課後に教室や屋上に行く階段でよく3人でギターを弾いた。
ミュージックアソシエーション(フォークソング部)に入ったイシッチョとワシのレベルはだいたい同じで、陸上部のカトーシはワシらより遥かに上手かった。
拓郎好きのカトーシは、大概の拓郎の曲はコピーしており、よくワシらに
花嫁になる君にとか、ガラスの言葉、林檎、旅の宿 をフィンガーピッキングで弾いて見せてくれ、フィンガーピッキングの基本のスリーフィンガーの爪弾き方を教えてくれた。
アルペジオ程度しか出来なかったワシとイシッチョは、懸命にスリーフィンガーの練習をした。 そんな高1の春がとても愛おしく懐かしい。
その後イシッチョはサークル内の同級生とバンド(ワシの彼女も居た)を組み、ラジオの公開番組主催のコンテストに出場するまでになり、大学でもバンドを続け、プロを目指していたらしかったが、父親の他界を機にミュージシャンになる夢を捨て、家業の酒屋を継いで細々とやっていたが、7年前、彼の訃報を風の便りで聞いた。
葬儀の会場では、ベースマンだった彼が作った曲と歌がずーっと流れていたらしい・・・
今朝のNHKの朝ドラ 『あさが来た』オープニングタイトルのバックに流れるAKB48が歌うこの曲を初めて耳にして・・・・・
そのどこか懐かしい曲調に・・・思わず
そんな事があった高1の頃をふっと思い出してしまった。
典型的フリーフィンガーの曲。
ズン ドドッ! ズン ドドッ! ズン ドドッ!というバスドラとベースがリンクしたリズムがいかにも似合う、70年代初期の典型的な曲風にそっくりだ。
AKB48に敢てこのフォーク調の楽曲を歌わせる・・・引退して朝からNHKを見ているだろうフォーク世代に向けて・・・秋元康が考えそうなことだね・・・。
イシッチョと散々練習したスリーフィンガーの似合う曲・・・・
アップテンポでメジャー進行で明るいんだけど、歌詞がどこか切なかったり、苦しかったり・・ でも前を向いて行ける気がする歌がなぜか多いのは何故?
「あの素晴らしい愛をもう一度」加藤和彦と北山修
「岬めぐり」山本コータローとウィークエンド
「恋人もいないのに」シモンズ
「白い色は恋人の色」ベッツィ&クリス
「夕暮れ時は淋しそう」N.S.P.
「遠い世界に」五つの赤い風船
ちょっと雰囲気は違うが・・・カトーシが弾いて見せた
「林檎」吉田拓郎
混沌とはしていたけど・・・・、
今より、何かに期待できそうな時代だったのかもしれないね・・・
幸せになるんだ! ってね・・・・。
あ゛~~~ ウルっと来たぁ~・・・・・?
無理すんなよ・・おっさん・・おばちゃん・・
来ない奴は、多分よっぽど暗い青春だったんじゃね~のぉ~~?笑