お盆の中日・・・
仕事暇だし・・数年前に同じようなお盆の時期に 宇宙侍 花山大介 https://blogs.yahoo.co.jp/syouchanbou/66350435.html を気まぐれで一気に書いたが、その後が全くストーリーもプロットも浮かばす、塩漬けのままなので・・・・・
まだヤフーブログのシステムが未熟で画像と文章をアトランダムにUPできなかった2005年当時にUPしたGUZZIミュージアム訪問記を再編集して改めてここにUPしてみようと思う。
前の記事はコメントを頂いているので、増版版をUP後も削除はしません。
ではでは・・・
Motoguzziの本社訪問記 エピソード1(トレニイタリアの反乱)
私がヤフーブログを初めて間もない2004年初夏、イタリアはフローレンス(フェレンツェ)で毎年1月と6月に開催される ピッティ・イマジネ・ウォモ( PITTI IMAGINE UOMO)通称PITTI UOMO という世界的なメンズファッションのトレンドを発信するSPRING/SUMMERの展示会に仕事で行く機会があった。
イタリア中部のフィレンツェで展示会を見てからミラノに移動し、現地イタリアのトレンドの動向を取材し、産地のCOMO(コモ)に行ってシルク関係の情報も得てから帰国するのが日本人のMDやバイヤーの定番スケジュールだったので、同じようなスジュールで移動したが、初めて要領も得ないまま独りで訪れたので、地理感覚が頭に入っておらず、自分が乗っているオートバイの本拠地を訪れてみる余裕も時間もその時は無かった。
帰りの飛行機の中で、翌年のFALL/WINTERの PITTI UOMOはしっかり準備して
ミラノ北部にあるMOTOGUZZI本社を必ず訪問するこを誓った。
西暦2005年1月、つまるところ・・・今年の正月明け、イタリア出張の間の1日を何とか都合をつけて、私GUZZIおじさんは勝手にMotoguzzi本社の表敬訪問を企てていた。
目的はMOTOGUZZI本社工場内にあるGUZZIミュージアムだ。しかし、いきなり行くのも何なので、とりあえず福田モータースのスタッフにこれこれこういう日本人が行くかもしれないということを事前に連絡してもらい、イタリア入りしてから、電話連絡をすることになっていた。
イタリア入国後、フィレンツェから福田モータースに紹介してもらったG社の広報担当の女性にアポを取ったところ、快諾していただき、説明の方までつけていただける段取になった。
しかしここで、とんだハプニングが起きたのです。フィレンツェでその日を心待ちしていた私は、前日のミラノへの移動日にトレニイタリア(国鉄)が18:00から24時間ストを決行するという情報をテレビで知り、一転、この計画は暗礁に乗り上げることになってしまったのだ。
ストに突入する前にミラノへ移動し、ミラノ中央駅の案内で何とか明日、Motoguzzi本社のあるマンデーロ・デル・ラリオ駅に行きたいというと、ストだからそれは不可能だ!とにべも無く言われてしまった。
外人はゼスチャー&顔の表情付きなので、トラブルの時はホントに腹が立つ。
まさにトホホ状態である。私のスケジュールは変えられず、ピンポイントの貴重なフリータイム1日を!・・・イタリア人め、ちゃんと働けよなー!
しかし、困っているのは私だけ?イタリアじゃ日常茶飯ごとなのか?周りはいたって平静を保っている様子。
このジャポネーゼは何騒いでるんだ?ってな感じで、明後日行けば良いじゃん・・・・そんな対応なのである。
出国前、仕事中にWEBでトレニイタリアの運行表を検索し、綿密に立てた当日の列車乗り継ぎの計画が見事に吹き飛んしまったではないか!
元、鉄道(SL)マニアだった私は、時刻表や運行ダイヤを見るのはお茶の子サイサイ、我ながら完璧なスケジュールだったのに、トホホ・・である。
元鉄?引かないで頂きたい。我々の世代には、機関車・戦闘機、軍艦、戦車、レーシングカーどれも同列の興味の対象だったのです。普段、ワルで名が通っている、地元のボンタン小僧たちと八高線(八王子-高崎間の関東のローカル線)の撮影ポイントで出会ったときは、笑ったものだ。リーゼントやアイパー頭でペンタックスや
ペトリの一眼レフを首からぶら下げてるのだから。
ペトリの一眼レフを首からぶら下げてるのだから。
それにボンタン&リーゼントでUコンをやっているおにーちゃんはそこかしこで目撃できた時代。いい時代だったんだねぇ~~。
ブルーな気分でミラノのホテルにチェックインし、Guzziの広報に電話を入れ、明日ストで訪問できなくなったことを告げ、一人で寂しい夕飯を食べに出かける。一人で食べる夕飯に金をかける気もしない。(一人の海外出張ってホントにつまんねーよな!)で、ケチったせいか、すこぶるマズイ!ユーロに変ってから、やたらに物価が高いし!何も買う気もしない。だいたいフィレンツェに較べて、べらぼうに寒いのである。寂しい・マズイ・寒いの3段攻撃だ・・。
ブルーな気分でミラノのホテルにチェックインし、Guzziの広報に電話を入れ、明日ストで訪問できなくなったことを告げ、一人で寂しい夕飯を食べに出かける。一人で食べる夕飯に金をかける気もしない。(一人の海外出張ってホントにつまんねーよな!)で、ケチったせいか、すこぶるマズイ!ユーロに変ってから、やたらに物価が高いし!何も買う気もしない。だいたいフィレンツェに較べて、べらぼうに寒いのである。寂しい・マズイ・寒いの3段攻撃だ・・。
値段と美味さのバランスを考えると、日本で食べるイタ飯の方が数段美味い。
ただし一人海外出張メシの定番!のマックはイタリアオリジナルのメニューがあったりして、日本より数段美味かったりする。なんだかなぁ~。 とりあえずここで一休み、・・・・つづく
Motoguzziの本社訪問記 エピソード2(決意と出会い)
何だかスッキリしない朝を迎え、ホテルでの朝食を済ませ、ロビーでぼんやりしながら、他の日本人バイヤーたちの会話を何となく聞いていた。「COMOは行った?いいや今日行くよ・・」 この季節、1月中旬は日本からのMEN'Sファッション関係者が多い。ま、私もそんなところだが・・・・
COMOは北イタリア湖水地方の有名な景勝地だが、テキスタイルの産地でも有名なところ、毎年世界的なテキスタイル展示受注会がおこなわれているところでもあるのです。「ヘー今日行くんだコイツ等・・・・」 私は思った「バーカ!ストだよ今日は・・・」 待てよ・・・COMOは私鉄でもいけるんだ!「ミラノノルド鉄道」があったんだ!
実は、Motoguzzi本社のあるマンデーロ・デル・ラリオはミラノチェントラーレ(中央駅)から国鉄で約60km強くらいのところにあるCOMO湖畔の小さな町、LECCOという比較的大きな町からさらに支線に乗り換えて10km程度のMANDELLO DEL LARIOにあるのだ。画像の地図で確認できると思いますが、コモ湖は 漢字の「人」という形をしており、左の下の端っこにCOMO、右の下端にLECCOという町が在る。距離にして地図上で40kmくらいか!実際の道のりはもっとあったのだが・・・・
ミラノとCOMOとLECCOの位置関係はちょうど一辺が数十キロの逆正三角形のそれぞれの角にあたるのである。COMOを経由して行くのはかなりの遠回りだが、私はとりあえず、COMOに行き、船で渡れば何とか行ける!そう確信した。
後に解かったことだが、この特殊な形をしたコモ湖はコモ側をLAGO DI COMO(コモ湖)
レッコ側をLAGO DI LECCO(レッコ湖)と言うらしく、「GUZZIの本社はコモ湖の近所にある!」というのは、あまりにもアバウトな見識だったということが判明した。
だいたい地図も持たずに行こうと思うのが無謀だったのに気付き、ホテルのフロントに頼んでコモ湖周辺の観光MAP(上の地図)を手に入れた。位置関係というか、東西南北と距離感覚が大切である。
言葉があまり通じなくてもこれさえあれば、何とかなるものだ。
東京近郊の地下鉄・私鉄・JRの関係と駅舎の構造に較べれば全く問題ない。
細長い漢字の人型の湖なので端から端まで、ゆうに数十キロ以上あるのだ。最北の部分は、国境を越え、なんとスイスにまたがっているのだから手に負えない。その形状から日本にあるようなダム湖をどこかで想像していた私がまるでおバカさんだった。
この時、既に午前10:00。
すぐにホテルを飛び出し、国鉄とは反対に位置するミラノノルド(北駅)に向かった。
ちなみにミラノに入る外国人は皆マルペンサ(ミラノ)空港からマルペンサエキスプレスを利用し、このミラノノルド駅に到着するのである。
11:42発COMO LAGO(ラーゴは湖の意味)行きに乗ることが出来た。
実は、1本前の10:42発のコモ湖行きがあったのだが、プラットホームを間違えて乗り遅れてしまった。
列車案内盤の1等/2等表示を、1番線/2番線と勘違いし、それにしても1番か2番のどちらかってーのもイタリアらしくいいかげんだなぁーと思って一向に出る気配のない行き先表示の違う車両の前に立っていたら、何か「COMO」と表示の付いている列車が向こう側から、発車していくではないか!
およよぉ~~・・
そして電車に乗ること1時間チョット、無事?というか目的地と全然方向の違う反対の町COMOに到着した。電車内では、BOXシートで一緒になった定年後を貧乏旅行で楽しんでいるというアイルランド人の初老の夫婦に、事の一部始終を話すと、旅慣れている様子の彼等は親身になって相談に乗ってくれた。
彼等は分厚いツーリストガイドBOOKを何度もめくり、湖畔を周遊する船は4時間以上かかり、その上、便数も少ないので、辞めたほうがいい、バスを選択すべきだとか、コモの旅行案内所の場所を一緒に訪れててみよう!とアドヴァイスしてくれた。
COMOの街に到着後、一緒にツーリストビューローに行き、バスターミナルの場所を確認、ついでに船でLECCOまたは、MANDELLO DEL LARIO(GUZZI本社のある町)に行く方法は無いかを聞いた。
回答は、湖畔にある小さな港を細かく立ち寄るのですごく時間がかかるし、お薦めできないといわれた。
やはりアイルランド人夫婦の調べた通りであった。
・・・ということで、私は湖畔の絶景に後ろ髪を引かれつつ、乗り合いバスで峠を越え全く反対のLECCOまで行く計画を選び、スターウォーズエピソードⅡの若きアナキンとパドメが結ばれるシーンのロケ地となったCOMO湖畔のスポットを目指す彼らを同じバスターミナルで見送り、42番のLECCO行きバスを一人で待つことにした。
こんな有難い出会いが有るのも一人旅の良さだ。
何となくほっとする。そういえば昼飯も食っていない・・・久々に旅をしている感じだ。20数年まえ、卒業旅行でヨーロッパ各地を放浪した時の記憶が甦ってくる。期待と不安、エピソードの連続。出会いと別れ、旅っていいなぁ思う瞬間でもある。
しかし、いろんなことがありすぎて、奇麗な湖水地方のあまりにも有名な国境の街、コモ湖周辺の絶景を撮影するのを忘れてしまったことは、とても悔やまれる。
ぜひ次回はあのアイルランド人夫婦のようにカミさんとゆっくり訪れたいものだ。
バスに乗る前、携帯でGuzziの広報担当の女性に事情を話し、再度訪問をチャレンジすると連絡を入れた。出国前の予定では、ミュージアムは元々13:00に訪れることになっていたが、こころよく了解してくれた。 しかし、時計は既にに13:00をとうに過ぎている。
これから、路線バスの長い旅が始まろうとしていた。ローカルバス・・・そう、正にワンマン乗合バスの2時間半に及ぶ、ながーい旅の始まりだった。
今日はここまで。
いよいよ次は本編です。
いよいよ次は本編です。
Motoguzziの本社訪問記 エピソード3(流転の果てに・・)
LECCO行きのワンマンローカルバスが発車した。やっと目的地に向かいはじめた。当然こんなローカル路線バスだ、日本人は私のみである。
周りは、お昼過ぎだったこともあり年配のおばさんとおじさん、それに学校帰りの小・中学生らでかなり混雑していた。日本の何処でも見られる田舎の乗り合いバスの風景である。
ミラノノルドのキオスクで買っておいた昼食のパニーニ(パン)は、車内で食える状況ではなかったので我慢をした。バスは時に、急な山道をエンジンをうならせながら登っては、止まり、乗客を排出し、また出発する。
乗ってくる者はほとんどいない。途中、何度も中世の頃から変わっていないであろう霧氷に覆われた山村を通った。こんな街道をツーリングしたらきっと最高だ!デジカメはミュージアムで電池切れになったら大変なので、車窓越しに流れる奇麗な景色は自分の網膜に焼き付けることにした。
だいぶ走った。時計を見たらもう1時間以上走っている。山道の勾配もだいぶ緩やかになり比較的大きな町・・ERBAに近づきつつある。
だいぶ走った。時計を見たらもう1時間以上走っている。山道の勾配もだいぶ緩やかになり比較的大きな町・・ERBAに近づきつつある。
この頃になると車内に立っている乗客はいなくなり、空席も目立つようになる。
ここでふと気が付いたことがあった。
混んでたときは見えなかったが、日本のバスにもよく付いている運賃と停留所を案内する電光掲示板が目に入った。
当然日本のようなテープやドライバーの声による案内などは無いのだが、
その表記されてる文字がドイツ語なのだ!
確かにCOMOの街から北西数キロでスイス国境だが、ここはイタリア、
案内盤がドイツ語のみの表記であることに疑問を持った。
以前列車でイタリアとスイス国境のトンネル(シンプロントンネル)を越えたことがあったが、車内放送がスイス側に入ったとたん、明るい声のスィニョール、スィニョリータからいきなり、 ダーメン ウント ハーレン!の低い声に見事に変わった時などは笑わずにはいられなかったものだ・・・。
そんなことを考えてたら、やがて小高い丘の大きな停留所にバスは止まった。
まばらに座っていた乗客が一斉に降りていく。
え?ここから俺一人?と思っているとドライバーも降りてしまうのだ。
そしてお前も降りろと言われる始末。
まさに、聞いてないよー・・である。
え?LECCO行くんじゃないのか・・この42番のバス・・・・。
え?LECCO行くんじゃないのか・・この42番のバス・・・・。
確かに何処にもLECCO行きとは書いていない。結構あせった。
言われるままおろされると、隣に違うバスがやって来た。
42番とかいてある。
ははーん。なるほど・・・
ははーん。なるほど・・・
ここで車両とドライバーが交代なのである。
乗り合いバスにしては路線が長距離なので、こういう方法をとって、
それぞれの地域に住んでいるドライバーとバス会社が相互運行しているのか!
と胸をなでおろす。ちょうどCOMOとLECCOの中間地点の峠みたいな高地でもあった。
かくして、また新たな気持ちでバスに乗り換え、途中コモ湖とは全然景観の異なる
かくして、また新たな気持ちでバスに乗り換え、途中コモ湖とは全然景観の異なる
とても幻想的で牧歌的な葦原を伴なった大小の湖などを見ながら、目指すLECCOの街に通じる山道を下った。
到着する頃には、自分ひとりだったバスも街に地下ずくに連れ乗客が増え
到着する頃には、自分ひとりだったバスも街に地下ずくに連れ乗客が増え
再びにぎやかになり、無事国鉄のLECCOの駅前広場に到着した。
ここまでの運賃は鉄道12ユーロ/バス5ユーロだった。(安い!)
ローカルな田舎の駅に下り立ち、時計を見る。15:30過ぎだった。
ミュージアムの訪問はFUKUDAのスタッフから16:00ぐらいまでにして欲しいと言われていた。
急いで駅前の広くもない傾斜した車寄せでタクシーを捕まえる。
どれも白タクのように見えて、胡散臭いが、しかたない。
比較的奇麗な白いOPEL OMEGAの運転手に声をかけた。
乗ってみると典型的な陽気でおしゃべりなイタリア親爺のドライバーだった。コモ湖の沿岸の空いてる道をかなりのスピードで飛ばす。
乗ってみると典型的な陽気でおしゃべりなイタリア親爺のドライバーだった。コモ湖の沿岸の空いてる道をかなりのスピードで飛ばす。
GUZZI本社までは20分程度で到着した。降りしなに、運ちゃんは帰りに携帯に電話をくれたら迎えに来るよ、と電話番号のメモを私に渡すと「チャオ!」と言い残し去っていった。26ユーロだった。何だよ、結構高いなぁと思った。
やっと本社の正門の前に着いたぜ!
ここで一休み、次へつづく。
Motoguzziの本社訪問記 エピソード4(念願成就の雄叫び)
そこはスイス国境へつながるコモ湖沿いの街道に面している古びた工場だった。裏側には雪をかぶった険しい山々が連なっている。
勢いとはいえ、随分と遠くへ来ちまったなぁ~と思った。
その奥左手の脇の守衛室の方に挨拶し、電話で対応してくれていた広報アシスタントの女性を呼び出してもらう。
出てきた女性まだ20台前半の若くてチャーミングな子だった。名前はクリスチーナ・マーニちゃん。
・・・一瞬、マーニ?・・もしかしたらあのアルチューロ・マーニの孫娘かいな?と勝手に想像してしまった。その真偽は今もって定かではない。
すでに時間は16:00をまわっていたが、快く対応してくれた。まもなく展示車両の説明をしてくれるというおじさんというか、おじいさんが現れた。名前は聞いたが、よく聞き取れなかった。
何回も聞くのも面倒くさいので、日本人特有の笑顔でごまかした。案内されるがまま、階段を上るとすぐにミュージアムはあった。
正門のすぐ上の3階建ての建物の2階3階部分がそれに相当するようだった。巾6mくらいの長い廊下(もともと組み立てラインの建屋らしい)に書籍などで見たことしかないバイクたちが鎮座していた。
おじいさんが一生懸命説明してくれるイタリア語をクリスティーナが英訳してくれる。クワットロ・バルボーレ・・・・オットー・チリンドリ・・・・何となく解かるが、クリスティーナの言葉をふんふん言って耳を傾ける。おじいさんのイタリア語から英訳されて7掛けになり、私が和訳した時点で、また7掛けになる。最終5掛けの理解度になる。
そんな3人の問答が続くうちに、自分が作ってきた自慢のバイク、エンジン、メカを誇らしげに説明するおじいさんの顔がいつしかカルロ・グッツィの白黒の写真とダブって見えてくる。もどかしくも楽しい時間が過ぎてゆく。
こんな時に限って持って行ったNikon のオンボロデジカメの充電がエンプティになりいきなり貴重な写真が撮れなくなる・・。
工場の就業時間が17:00までなので、小一時間ミュージアムで写真を撮りつつ3人で回ったあと、日本から持ってきた辰巳パーキングで撮った仲間のMOTO GUZZIの写真を見せた。
二人ともとても喜んで拝見してくれた。その後、守衛室の横にある事務所のようなお土産コーナーに通された。いろんなグッズが売っていたが、旅先の散財は帰国後にしっぺ返しが来るので、GUZZI仲間にピンバッチ10個程度土産として買う。
事務のおばちゃんにお金を払い、彼等と握手し別れた。ホントは気持ちを込めてハグしたかったが、恥ずかしいからやめにした。
後ろ髪を引かれる思いで、民家の扉のような硝子ドアを出る。
大きく深呼吸をする。北イタリアの冷たい真冬の空気と共に異国の匂いが鼻にすーっと入ってきた。
あっという間のわずか1時間の訪問だった。
ストさえなければもっとゆっくり見れたはずだが、昨日の夕方を思えば、訪問できただけで奇跡である。
なんとホテルを出たのが10:00、ついたのが16:00、たどり着くのに紆余曲折あって6時間もかかってしまったことになる。
しかし、充実感は有っても疲労間は思いの他少ない。
説明のおじいさんと広報アシスタントのクリスティーナにはとても感謝している。特に彼女には、行く、行けないの再三の電話にも関わらず、誠実に対応していただいたことはけっして忘れはしない。また福田のスタッフにも私の気まぐれに、スピーディに対応していただいたことに大変感謝している。この場をかりてお礼を申し上げたい。
さーて、問題は帰りである。お土産の対応をしてくれたおばさんにLECCOまでなら会社の真っ前からバスに乗ればいいよと言われたが、時間も読めないし、さっきのタクシーの親爺の携帯に電話をい入れ、迎えに来てもらうことにした。
20分で来るという。当たり前だ。
ここに来る時に20分かかったから知っている。
タクシーを待っていると、さっきのお土産コーナーのオバちゃんを含む何人かの女性社員が“民家のような通用扉”からぞろぞろ出てきて、私の待っている場所のまん前のバス停にならんだ・・。
と思ったら、すぐにLECCO行きのバスが山の上から降りてきて来て、彼女等を吸い込むと、さっさと行ってしまうではないか!
あれれー・・・、嘘~~・・漫画の様な展開に笑ってしまう。
タクシーは来る気配は全くない。
おまけに再び26ユーロかかる。バスなら2ユーロもしないだろう。
一番近い距離が、タクシーの往復だけで52ユーロ(¥7500)は痛かった。何だかなぁ・・・
一番近い距離が、タクシーの往復だけで52ユーロ(¥7500)は痛かった。何だかなぁ・・・
気が付くと、今朝ミラノノルド駅で買ったあのパニーニ(パン)とジュースがそのままカバンに入っているのに気が付いた。どうりで腹もへってるはずだ。
タクシーが来るまで、街道を挟んだすぐ向かいの土手の上にある本来ならばここに降り立つはずだった、MANDELLO DEL LARIO駅に行ってみた。
ストで駅舎は締まっていたが、ホームは入れたので、そこから、さっきまで居たGUZZI本社(工場)を見下ろしながらぺっちゃんこになったパニーニをかじる。
ちょっと硬い歯ごたえと干からびかけた生ハムがおいしい。
夕陽に染まったピンクの山々と工場の建屋が何とも言えないのどかな風景画として目前に広がっていた。
しかし、今日はホントに来て良かったと思った。こんなストライキの日、たぶんこの辺一帯で日本人は俺しかいねーぞー!ざまー見やがれー!
何とか訪問できた俺の勝ちだ~~~! と大声で叫びたい衝動にかられた。
ふと街道の下に目をやると、坂の下から、見たことのある箱型の白いOMEGAがGUZZIの工場前に滑り込んで来るのが見えた。そろそろ此処を去らねばならない時間が迫っていた。
今日は此処まで、次回エピローグで完結。
Motoguzziの本社訪問記 エピソード4(イタリア帝国の逆襲)
帰りのタクシーは来る時と打って変わって静かだった。
夕陽に光るコモ湖の波紋を右手に見ながら、今日の出来事を振り返った・・・・。
朝食の後、急に思い立ってCOMOに向かう決心をしたこと、
ホテルのフロントマンたちに無理だから止めろと散々言われたこと・・・・、
それを押し切って、半ば意地でHOTELを後にしたこと、
いきなり1本電車に乗り遅れたこと、
アイルランド人の夫婦に出会ったこと、
長ーいローカルバスの移動、霧氷で真っ白だった峠の山々のこと、
途中で見た、幻想的な名も知らぬ数々の湖のこと、
そして目的地であるGuzziミュージアムのこと・・・・
陽気なタクシーオヤジも一丁前に空気を呼んだのか、終始黙っている。
イタリア人にしては上出来である。
やがてタクシーはLECCOの駅前に到着した。
時計を見ると17:45を過ぎたところだった。
メーターは27ユーロを指している。30ユーロを渡し、
釣りは沈黙へのお礼とチップとして受け取らなかった。
駅舎に入る、中は暖房が効いていて、思いのほか暖かい。待合室には20人くらいの人がいた。
18:00でストライキはそろそろ終わるはずだったので、
窓口の女性にストのことを聞く。
すると間引き運転だが既に運行が開始されているとのこと。
そしてここを見ろとばかりに、スト用ダイヤが印刷されているB5くらいの張り紙を指差ししきりにジェスチャーをする。
何?スト用ダイヤ・・・・?そんなのあるんだ、ヘー・・
待てよ! ス・ト・用・ダ・イ・ヤ・・
一瞬頭が白くなる・・そうなのである。・・・
今日の上下線のスト用ダイヤが貼ってあるのだ。
っていうことは列車は朝からかなりの間引き運転ながらも運行してたのかよ!
そんなの聞いてねーよー・・・・だ!
6時間もかけてCOMO経由でバスを乗り継いで・・・・・
かーっやられたよ、またしてもイタリアに!
当然、下りの朝の時間帯のダイヤなど見る気もしなかった。
ローカル列車はすべて運休だったが、どうやら特急・急行の一部は運行していたらしいのである。
朝の時点で、ダメ元で国鉄の中央駅まで行けば、その情報を仕入れられていたかもしれなかったが、後の祭りである。
次のミラノ行きは約1時間後だった。ミラノまでの切符を先ほどの窓口で買った。
約7ユーロだった。
へ? 安すぎないかい? 前もって乗り継ぎの列車ダイヤは調べてあったが、料金までは調べていなかった。
・・・・ここで笑ってしまった。ストが無ければMANNDELLO DEL LARIOまで8ユーロぐらいでこれたことになるでは無いかい?
往復16ユーロですんだのである。
今日はこれまで12+7+56ユーロ、軽く1万以上は使っているのだ。再び、トホホホ・・・。
こんな田舎の駅で、先ほどから、いろんな表情をし、
「Ussoh!」とか・・・
「Majikayoh!」とか
訳分からんことを言っている、めったにいない東洋人を見て、
周りのイタリアーノは心配そうな表情をしている。
どうせ俺は困った日本人ダヨー・・・余計なお世話じゃぁほっとけ!
そうこうしているうちに、ミラノ行きが来る時間が迫り、
やがて、それはプラットホーム入ってきた。
安い2等の座席に座る。乗車率30%というところか?
何だか不安になり、窓を開けて降りた乗客に行き先を聞く。
MILANO!MILANO!と叫んでいる。「グラッツェ!サンキュー!」とどうやら無事帰れそうだ。
対面の座席に大学生風の若者が座って来た。
何やら盛んに学校の授業の話をしているようだが・・イタリア語だから全然解らない。
列車が動き始めて少しすると軽い睡魔が襲ってきた。
一応急行なので、ミラノまでは小一時間で着くはずである。
ここに来るのに4時間もかけて来たのに・・・。
到着する駅はミラノのもう一つの比較的小さなポルタ・ガルバルディ駅だ。
ちょうど宿泊しているホテルから近い終点駅だったので
ゆっくり寝ていくことにした。
ヨーロッパの大都市の駅は皆、上野駅のような扇状のいわゆる終着駅が多い。
風情があって私は好きだ。だから日本では珍しいこの形の上野駅は大好きである。
列車のゆれがしなくなり、まわりの乗客がざわざわし始め、終点に着いた気配が体に伝わってきた。寝ぼけた頭に喝を入れ、ホームに降り立つ。
ここで、あれ?と思う。初めての駅のはずなのに、見覚えがある大きなアーチ型の屋根、大きな壁画、
ユーロスターなどの幹線特急列車が見える。ここはポルタ・ガルバルディ駅ではない!なんと到着したのはミラノ・スタッチオーネ・チェントラーレ(中央駅)ではないか!
到着駅が寝ている間に変更になっていた。日本でいえば、前橋から高崎線に乗って上野に行くつもりが、寝ている間に大宮を過ぎてから埼京線経由で中央線の新宿に着いていた・・って感じ。
まさに終点が勝手に変ってたということ!
恐れ入りやのマリア像、どれほど私を翻弄すれば気がすむのかイタリア!
ただで済まない国イタリア!
恐るべしイタリア!
そんな国のバイクに幸か不幸か、はまってしまった私のMotoguzziミュージアム訪問記・・・・
これにて一巻の終りぃー・・ペペン ペン ペン・・
長い間、駄文にお付き合いいただき有難うございました。何か参考になったかな?ならんだろうな。