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Channel: MOTO GUZZI な おじさんの趣味とこだわりについて
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【鉄道写真コンテスト】旅情と鉄道

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昭和48年の高1の夏、アメ横で新調したアルミのフレームサックにカメラバックと三脚を縛りつけ、僕等は北海道に入って3日目の7月25日を迎えていた。

実は僕等は、地元でボーイスカウトに所属していたので、ジャンボリー等で見るスマートなアメリカのスカウト達のバックパッカー姿に憧れていたのだ。しかし初めて背負ったそれは重心が異様に高く、想像していたものと全然違って、その頭デッカチなアンバランスさに戸惑いながら撮影旅行をしていた。

ボーイスカウトで培ったノウハウ、重いものは上にの習慣で、クソ重いカメラバックは一番上でそのまた上に真一文字にベルボンのやたら重い三脚。 駅の待合室や車両内での荷物の昇降は、常に大騒ぎだった。

でも、貧乏旅行という意味では大差無いが、野暮ったい70年代の社会現象的風俗を象徴するような周りの3~4歳ぐらい年上のカニ族のキスリングを背負った大学生達にかすかに優越感を抱いていたことは確かだった。

お前ら、だせーよってね。笑

前泊の塩狩ユースがある塩狩駅から15:33発345Dで名寄駅に移動し、19;41発の急行宗谷に乗り換えて終着駅の稚内に真夜中に着き、そのまま駅前のベンチで野宿。
朝一の上りで抜海駅に移動し、C55が牽引する8時過ぎの324客を俯瞰で狙うのだ。



昨日買っておいた朝飯用の菓子パンを咥え、カラスの襲撃をかわしながら線路を来た方向の南稚内方面にひたすら数キロ戻るのだが・・・・

北のカラスは侮れない。急降下して来て威嚇し、人間様の食い物を奪おうとする。
怯んで手から泣け無しの菓子パンを落とそうもんなら、すかさず、ばさっ ばさっ と跳ねて来て、あっという間に咥えて飛んでっちまうのだ。

相棒のウダさんは、アンパンをめぐってカラスと格闘して、ついさっき負けた・・・。

アンジュレーションの間から東に望むはずの、利尻冨士は、夏なのに生憎の曇天で何も見えず、おまけに海から霧のようなもやまで立ち込め、辺りは荒涼とした
熊笹の原野が広がるばかりだ。

やがての霧の中にC55のドラフトが響き始め、枯れ木の立つ丘に三脚を構えた
僕等の緊張感はピークを迎える。

C55はその独特の短い形状の蒸気溜めを真横にしてその雄姿を得意げに見せて、やがて走り去っていった。

煙の色の白さから想像すると、体感的に気温はおそらく10℃ちょっとくらいだろう・・内地との気候の差は歴然としている。


イメージ 1
抜海~南稚内 南稚内 8:06発の 上り324客 
マミヤC33 セコール105mm F3.5  1/125 F5.6 トライX

宗谷本線の名寄~稚内間は貨物は9600型、客車はC55といずれも大正時代の老兵が活躍する北海道ならではの路線だ。


その後、せっかく最北の町に来たので撮影は小休止にして、バスで日本海とオホーツク海の境界線でもある日本最北端の宗谷岬に立ちよることにした。

イメージ 3
昭和48年7月24日の昼過ぎごろ・・・
僕は確かにこの瞬間、日本で一番北に居たようだ。踵の下は海・・笑

髪の毛を伸ばそうと決めた夏の中途半端な頭髪が邪魔くさくて、
母親から貰ったチロリアンテープを巻いていた。
ボヘミアン?  ヒッピー?

拓郎の 結婚しようよ がヒットした時代だね!
その年の冬には、僕の髪も肩まで延びていたけと、
夏前から付き合い出した彼女には、木枯しが吹き始めた頃に振られた。



写真をよく見ると、当時の旅行客の出で立ちと傍らに置かれたリュックが昭和ですね・・。

不思議なのは、このカラーフィルムのDPEの日付が1974年の2月になってること!
撮影は1973年の7月なのに・・・
ミノルタのサブ機にカラーフィルム入れてて半年以上 現像を忘れてたんですね・・

イメージ 2
6×6判のベタ焼きが示すとおり、宗谷本線は朝撮った たった1枚のみ。

その下の写真は、どの駅のD51だろう・・?
当時の記録(予定表)を見ると、稚内入りする前、名寄駅で乗り換えの時間が2時間ほどあったはずなので、夕方の4時ごろ西陽の射す名寄駅構内で旭川(※道産子は皆アサヒガワと言う)方面に発車するD51
の貨物を狙ったものだろう・・・

※市町村名としては、アサヒカワだけど、駅名はアサヒガワ
1988年民営化と共にJR北海道は読みをアサヒカワに改名したらしい。

旭川駅に到着した乗客に駅名を知らせる構内放送や車内放送の
「間もなく、アサヒガワ・・アサヒガワ・・に到着です・・・」
が懐かしい。



その後は、再び名寄駅に戻り、待合室で宿泊。翌日は今は無き名寄本線の9600型を撮影しに上興部駅に向い、牧場で撮影・・・



イメージ 4
この写真・・・手前に牧場の有刺鉄線が見切れて大失敗! 爆
上手くボケると思って撮ったのだが、天気が良すぎて、被写界深度が深くてピントが
全部に合っちゃった。





そしてそのまま名寄本線でオホーツク海にでて、石北本線の遠軽に移動し、再び駅前のベンチでシュラフに入って野宿・・・・

そして翌日、本命の石北本線 常紋信号所へ・・・・

イメージ 5
これも現像が1974年2月・・・爆  座ってるのは 相棒のUDAさん。
僕はベルボトムにチューリップハット、かれは、スリムジーンズにガロの髭のボーカルがよく被っていた、キャスケット!
時代です。

信号所の駅員さんに、熊がでるから注意するように! と注意され、ビビリながら
山の中を歩き、有名な撮影ポイントに・・・

イメージ 6
Nikon Photomic FTN ニッコールオート 135mm F2.8 1/250 F8 
昭和48年7月27日 石北本線 生田原~常紋信号所

DE10?の後補機を従えて(残念!)登ってきたD51953が牽引する、下り4581レ 
この日は暑くて、煙も射して吐かず、迫力、今一歩の写真になってしまった。

昭和48年夏の北海道紀行は後日もっと詳しく画像満載で再UPしますね~。

今日はコンテストのエントリーということで、さわりだけでした!




 


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